私は脳梗塞を発症してから既に8年が経過しました。
 8年に対する月並な感想ですが、光陰矢の如しと言われる通り歳月の経過は百代の過客ならずとも時間を超越して脳裏に刻まれます。
 私はその間何が起こったのか、そして何が変化したのかつぶさに対峙・検証する余裕もないままただひたすらに暦の数字を手繰り寄せておりました。
 そしてこの間、自分の障害の回復への欲求とともに具体的な命題として認識してはいませんでしたが、常時、この疾患に対する諸問題に関する思いが複雑に交錯しておりました。
 しかし、それを整理するゆとりも能力もないまま逡巡していました。
 つまり、それは私が対応したくてもその都度の状態の症状の把握が自ら理解できないことに原因がありました。

 最近のことですが、ある日現状報告として次のように書き始めました。

 発症後転院した病院は閑静な温泉病院でしたから、ただ茫然といつも遠い山々と澄んだ空を仰ぎ見ておりました。心身共に何もかも変わった環境に対応できない時空のなかにありました。そして、眺望の広い3階の私の病室からは病院を出て生垣沿いの歩道を去って行く患者や付き添いの方の様子がよく見えました。特に若い家族ずれの労わりと係わり合いを見ると、
 
私もあのように歩けるだろうか…
 車椅子に乗って移動していた私は半ば他人事のように思えてなりませんでした。
 しかし、現在では未だに痛みが残っていても、当時では全く考えられない通常の生活を何とか行っております。救急車で搬送される私を見送って頂いた近所の人は、「元気になりましたね。あれだけの大病をしたんですから」といってくれます。勿論、障害者の言う通常は、行動の不自由はやむを得ないものとしての自己の障害の前提に妥協しての話ですから、不可能とは考えていますが私は今後もリハビリによる回復を続けたいと思っています。

 最も私の生活に重要な後遺症は“失語症”でした。

 “失語症”には、「ずいぶんよくなりましたね」と声をかけて頂く方がありました。しかし、最近はそれもあまり無くなりました。
 つまり、私の会話能力の回復の証明になるものと喜んでいます。確かに昨年頃からは不完全ではありますが、電話である程度の用事は通じる事ができました。
 しかし、実際の会話では分かり難い部分が多いようで、その都度聞き直すことがありますが、日常会話の際はその内容によってはその場で無理に聞き直す必要がない場合は必ず会話の空白が生じます。
 それに気になった方は、“やー、東北弁じゃ全く分からないからな、それよりずっと分かるよ”、(何も東北弁を軽蔑している訳ではありません。私に対する思い遣りです)
 また、“さらさら喋る人より心の篭った朴訥がなによりですよ。子曰、巧言令色、鮮矣仁、ですから”と仰れました。
 確かに私は回復を実感しておりますが、実際のところ私自身としては現状に満足している訳では全くありません。発話は言いたいことがあってもそれに適当な単語、構文を構築し・発声するには構想は浮かんでも最後の詰めが殆ど不充分ですから不満足ながら、ただ私の言い易い代替の言葉を苦労して見つけながら応答しております。
 つまり、必要最低限度の内容の伝達のみであり対面して行う本来の会話エッセンスは失っています。

 ですから、贅沢な要求と思うでしょうが、先のお二方のお話は、私に対する配慮であることにはほんとに有難いと思っていますが、通常の会話には同じ文章の内容を文字だけは表現していない、云わば、行間に意味がある重要なコミュニケイションの要素失語症者が発信することは難しい、…その意味をご理解下さっている意味ではなかったのです。

 私の発症前は職業柄言語によるコミュニケーションが生活の根幹でした。私は私の講義には受講者の理解の前提には常に表現力、特に言語を中核とした表現力があるべきものとして、時には自己の表現力に自負さえもっておりました。つまり、敷衍すれば、人と人との密度の濃い交わりは、たとえ対立関係でも、その主張を表現する媒体が何であろうと正確に伝達されることが不可欠と信じております。それが人類の発展を推進してきたと言っても過言ではないでしょう。
 すべての生命の共感はそれなくしてはありえません。
 その卑近な例として私は言った事があります。
 それは演劇の初歩的な台詞の練習の使用していたものですが、

      
      あなた
      結婚なんか
      しませんわ。

 この台詞の意味は場合によってずいぶん変わります。

 “”にイントネイションをおいた場合、その背景には自分としての見解をはっきり主張する態度が見えます。同じ様に“あなた”では明らかに別の人を念頭においての発言です。結婚する方が他にいることを示唆しています。“結婚”では“同棲ならいいけれど…”と云うような響きがあります。“いません”が強調されると、この話は考えることも嫌だという意思表示になります。

 日常会話では無意識のうちに使い分けています。

 ですから、未だ会話のときには何より言葉を出すことを優先し、その、上各単語と段落の区切りに支障をもっている状態の私が発音・抑揚に触れることはいささかそぐわないことです。

 失語症者の集いでは、よく出会う当事者の近況報告があります。しかし、その場合、その場では戸惑うことなく発表される方は稀なことで、殆どは発表内容の収拾が難しいことが多く、事前に原稿を書いて来る方がおられます。
 その際、聞き手にむかって一所懸命になって滑らかに喋っていても、聴いている人たちは声の大きさに関係なく黙読をする積りで発言者の内容を文字の流れ(文章)に組み立てて、それを追わないと分かり難い嫌いがあります。私はそのような経験が幾度かあります。


 しかし、それまでの文章を書いた後、コンビニのレジで代金を払うときの金額を間違えて店員から指摘されたり、少しややこしい早口の電話による問い合せに戸惑ったり、確認したと自信をもって既に提出済みの書類の記述ミスに再作成を余儀なくしなければならない状態(文章や表の文字及び数値が、時間特に日にちを変えて見てみると私の視界に隠れていた文字及び数値が改めて出現していることが多くありそれは将に脅威です)、また、ショップで白雪姫のDVDを注文の際に私の「白雪姫」という発音を店員が聞き取り難く、その店員がポールペンと紙を私の前に持ち出した…ということがたて続きに起こると前の文章は白けたものになります。
 自信を喪失し、この疾患の重さを感じます。他の失語症者のことを拘ることに、ある意味で、羞恥を感じ自己の殻に立て籠もりたいと思う挫折に陥ります。
 せめても手脚の自由がもう少し楽になり作業が出来れば、歩行が確実に安定して外出できれば、鬱陶しい痛みが無くなれば…疾患の原因は自分の健康管理にあることを反省していても愚痴に悩まされます。(テニス連盟の仕事は行なっていますが、発症後一度もラケットを握ったことはありません)
 ですから、正直なところを申し上げれば、現状の判断に迷いながら、文字通り“一喜一憂”の不安定な生活に揺られています。
 というより、残念ですが、私の毎日の心理状態のしがらみの中に不安定な“
一喜一憂”なリズムが定着している…と言うことが最も適当な表現と思います。

 私がこの疾患を受けてから如何しても分からない疑問があります。

 失語症の予後、つまり回復の可能性と当事者・家族・医療従事者及び周囲の関係者の対応の現状が見えていないことです。

 ある日、失語症者の集いに行くバスで会ったケアーマネージャーの方が私に言われたことがありました。
 「お医者さまの対応も考えて貰わなければ困るんです。62歳の私の患者さんは脳梗塞ですが、担当医がこの病気は回復しないと当人に言ったもんですから本人にはやる気を失い、困っているんですよ」

 似たような会話は障害者の内部では幾度なく聞いております。その都度、“医者の話は中てにならない”と口々に言うのです。勿論、治療については信頼している患者ですが、如何もリハビリについてはあまり信頼していない感じでした。

 テレビで放映された失った肢体の能力を他の部分の訓練で代用する話題には、“私はどうせ無理と(医師に言われて)諦めていてから、それなら初めからそれと言ってくれれば良いものを!”…そんな慨嘆がありました。

 私のところにも娘さんが高齢のお父さんを伴って、“失語症になりましたがお医者さまは一年でこれ以上良くならないと言われましたが、ほんとにこれ以上お話ができないでしょうか”と言われたときには私は唖然としました。

 私も私の会話で幾らか通じるまで1年以上かかりまいたし、通院等いろいろのことを行う場合は常に妻の同伴を要しました。散歩以外一人で外出するには3年はかかり、役所に行って曲がりなりにも自主的に交渉するには6年を待ちました。(成果はありませんでしたが)。逆に言えば、その間言語は徐々に回復に向かっていたと思っていますから、1年で今後の見通しを決める判断は考えなれないことだと周囲の仲間の経過を見てもそう思っております。

 その様なことは枚挙にいとまのないことです。障害者には分からないことが山積しておりそれが障害者の生活の背景にあり心身ともに拘束しております。

 例えば、いろいろな書物に必ずと言ってもよい位載っている回復曲線ですが、患者個人の事情によっていろいろ変わるので一概に言えませんが、私自身を含め今までお会いした方々の様子から見ると如何も納得し難い結果と思っております。

 失語症者ではありませんが、確かに、以前は杖を携帯しておられて方が、“これこの通り”と飛んで見せ、階段を逞しく下り、現在は民生委員として障害者のボランティのみならず地域活動の指導者として活動しているという報告をしていた1級の方もあります。
 しかし、逆に相変わらず同じ装いで集会に出席される方も多いように思っています。
 私の判断は全て自分の経験と発症後収集した皮膚感覚によるものですから、専門的・学問的考察から見れば、恐らく、眉を顰める偏見かもしれませんが、
 脳外傷と脳卒中を原因とする失語症は明に前者が回復が早く、回復に程度も高い。若い方に会うと年齢の高い方はずいぶん回復が遅い、特に習慣病のある方は遅く感じます。当然、いろいろな集いでも全てに積極的な方のほうが家族に嫌々連れて来られた方よりコミュニケーションが進むのは分かります。

 ここで当事者のとって重要なことは回復曲線です。

                 

図1:回復曲線(「脳卒中ことはじめ」による)
 図1は山口武典氏の編著による「脳卒中ことはじめ」に載ってる図ですが、その書籍の中で『失語症の回復の目安』として、
 
失語症はほとんどは完全に元の状態に戻ることが困難です。
 発症から1ヶ月を経過しても失語症状が残っていれば、程度は軽くなるにしても、その症状が完全に消失することは望めまいと考えたほうがよいでしょう。
 したがって、できるだけ早く予後の推定をすることは、その後のリアビリテーションの計画や将来の生活設計のためにも大変重要なことです。

 と解説しております。


 『回復期の言語訓練』の項目では

集中力が持続するようになり、意欲が出てきたら、本格的な言語訓練を始めます。

系統的な言語検査で言語の各側面の症状や程度を見極めたうえで、訓練プログラムが決められます。先に述べたように、傷害された機能自体の改善を図ることと、残された機能を利用してコミュニケーション能力を向上させることの2本立てで行います。

 失語症の訓練には、刺激・促通法が最もよく用いられてきました。失語症は言語機能を喪失しているわけではなく、機能が抑制されているという考え方のもとに、適切な刺激を与え、反応を引き出して強化していくという方法です。
 ほかに言語とは直接関係のない図形や行動を利用して言語機能の再編成を求める方法や、言語の情報処理モデル仮説を立てて訓練に利用する認知神経心理学的アプローチなどがあります。
 これらの訓練方法は障害された機能を改善させることに重点が置かれていますが、最近ではコミュニケーションの実用性を重んじる方法が重要視されてきています。コミュニケーション能力促進法(PACE:promoting aphasics’ communicative effectiveness)といわれものが代表的な方法ですが、その原則はSTと患者さんが、言語以外の手段も含めたあらゆるコミュニケーション手段を使って、どちらも相互に知らない内容を、懸命に伝え合おうというものです。
 つまり、それが最も自然なコミュニケーションのあり方である、という考えから成り立っており、そのような方法を取ることで患者さんの実用的なコミュニケーション能力を高めることを目指します。
 障害された機能の改善と残された機能の利用というさきに述べた観点からSTはさまざまな方法を、それぞれの患者さんの状態に合わせて、組み合わせて行っていきます。用いる話題や教材は、患者さんの生活背景や性格なども考慮しつつ、症状に応じて柔軟に変えていく必要があります。また、訓練の過程で出てくる心理的な葛藤に対するカウンセリグ的な対応も行います。
 おおまかにいって1年程度で、症状の改善があまりみられなくなります。それ以後は機能回復のための訓練にこだわるよりは、むしろ残されたあるいは獲得した機能を利用して、積極的に周囲とかかわっていくようにしたほうがよいでしょう。ことばはあくまでもコミュニケーションの手段であることを忘れてはなりません。

 という記述があります。

 流石に現場に精通されておれる担当医の解説ですから個々の事情による差異を包含しその対策を網羅した失語症の回復の目安だと思いますが、当然、そこには医療機関内にあって脳卒中に伴う運動麻痺の治療が併行して行われている一環であることを前提に回復曲線の評価を行っている事は明らかだと思われる内容ではないでしょうか。

 今回、4月から診療報酬改定に伴い、従来は期間無制限であったリアビリテーションが一部を除き発症から180日を上限に医療機関でうけられなくなるというという報道がありました。対象疾患:脳血管疾患(脳梗塞などの脳血管疾患・脳外傷・脳腫瘍・脊髄損傷 など)は180日ですから、社会的な背景もありますが、それは単に政治的な問題ではなく医療環境の進歩に連動した変革があると想像していますが、失語症も含めて受け入れられる限界が回復曲線の勾配(方向係数)の許容限界だと解釈しております。

 確かに、私の場合も、発症当時は、起き上がることも侭ならず、検査のベットに移動するのに全く私自信で支えることができず看護師(婦)がグニャグニュした私の体躯を持ち余す状態でありました。その後歩行補助機から車椅子やがて単独歩行という回復はまさに目覚ましい進歩だと思います。恐らく、言語も同様だと思っております。当時の使用物は残っておりませんが、みみず(蚯蚓)の歩いたような文字(?)が一部残っていました。週間表を書いたとき看護師(婦)が“金曜日が抜けていますよ”といわれて頭を傾げたことをうろ覚えに思い出します。
  殆ど発語さえ侭ならない入院から退院の期間の変わりようは目を見張るものがあったかもしれません。しかし、個人差がありますが、患者にすれば、以前の生活レベルに戻るにはあまりにも距離があり過ぎてその後の自立には相当時間を要しますから、この期間の回復の結果の割合はあまり自覚できないようです。例えば、60点を合格ラインの場合、試験で0点でも59点でも不合格になると同様な環境にあると思っております。


 実際のところ、病院では、患者に対する処置として、ST等医療担当者は専門家として具体的な判定を行います。

最も広く使われている標準失語症検査SLTAですが、私も受けました。
 これは健康ライブラリー イラスト版 
「失語症のすべてがわかる本」加藤正弘・小嶋知幸監修(講談社)に載っているSLTAの結果を表したものですで、失語症の患者なら必ず受けています。問題はその内容とその意味の説明を受けているか、また当事者がそれを確認・認識しているか疑問ですが、STの治療方針を決定するためには不可欠な検査のようです。私もこの結果によりSTから病院の個室から家族のもとで生活するほうが良いと判断で退院に至りました。

 しかし、聞く力、話す力、読む力、書く力、計算する力は、それぞれ質問内容はそれを合格しても通常の生活には適用するにはその実力はあまりも稚拙で、その上、上の表の3.9.にあるようには部分的な回復のないか遅れを生ずることもあり平均的回復には必ずしもならないようです。(詳細な問題には別項目にします)

 ですから、この回復曲線の漸近線の設定が患者の社会への適応ではなく固体としての損傷を可能な範囲で修復する可能性が漸次減少すること、つまり、その微分値の減少の容認になり、好むと好むざるによらず、現状の関係者の努力の実質的終了になりますが、実際私たち患者はそれからが最も厳しい生活が待っていることになります。

図2:ある患者のSLTA検査
(講談社;「
失語症のすべてがわかる本」による)
 またいろいろある失語症に回復曲線については財団法人東京都医学機構・東京都神経科学総合研究所の発行のHPのうち「身近な医学研究」として「タイトル;東京都神経研: 失語症」に紹介されています。
 これは平成16年度から、都民ニーズの研究を効果的・効率的に推進するために「プロジェクト研究」を導入し、8課題のプロジェクト研究を開始しました。平成17年度は、これまでの経常研究、都立病院等との共同研究を包括して全面的にプロジェクト研究体制に移行し、さらに22課題のプロジェクト研究を開始し、合計30課題のプロジェクト研究に取り組んでいる一部ですが、研究機関であるだけに広範で客観的な内容を網羅しております。何より私が嬉しかったことは内容の新鮮なことでした。
 

 そのなかでは

失語症患者が言語を再獲得するしくみについては、いくつかの説明がなされています”、として

 『5.発症初期には左脳内で言語を再獲得する。これによって発症後間もないころ著しい改善を生じる。やがて、右脳にも言語領野が新たにできていく。これが慢性期に長期間続くゆるやかな改善となって現れる。
以上のような説明がなされているものの、発症後のいかなる時期にどちらの脳に言語領野が形成されるかを、多数例について調べる信頼できる方法がなく、どの説も仮説の域を出ません。
ただし、治りやすい失語症と治りにくい失語症があるのは確かです。一般に若い人の失語症は治りやすく、高齢になるほど治りにくくなります。小さな病巣が広範囲に散在する場合も治りにくくなります。また、外に出る機会が多いなど、コミュニケーションの機会が多いと治りやすく、家に閉じこもりがちでコミュニケーションの機会が少ないと治りにくくなります。

 と記述されています。それは、医療従事者でありませんので詳しいことはわかりませんが、単なる一当事者の私には肉迫する内容です。

図3:失語症の改善曲線
発症から間もない時期ほど改善(○)が大きく、時間がたつにつれて改善が緩やかになる。コミュニケーションの量などの環境的要因も改善に影響する。

 (「東京都神経科学総合研究所」による資料による)
 またその中ので以下の通り記述してあります。示唆に富む内容ですので掲示します。
   失語症の『言語理解障害の程度』は重要な問題です。

 失語症の患者さんと接する臨床家や家族にとって、言葉を聞いて理解する能力が、その患者さんではどの程度障害されているかを正しく知ることが、2つの点でとても重要です。第一に、言葉による表現の障害の程度は、患者さんが話すのを聞けば、大体分かります。しかし、患者さんがこちらの話す言葉をどれくらい理解しているかは、簡単には分かりません。失語症の患者さんは何を言われても頷く傾向があり、あたかも言葉を理解しているように見えることも、患者さんの周囲の人々が、患者さんの言語理解障害の程度を誤解する原因になっています。患者さんが言葉を全く理解できないことを知らずに、財産分割の説明をしていた家族もありました。言葉の理解障害の程度を正確に知ることが重要な第二の理由は、失語症がどれくらい改善するかは、言葉の理解障害の程度から予測可能だからです。言葉の理解障害が重いと、言葉による表現にも重い障害が残ります。言葉の理解障害が軽いと、言葉による表現の障害は、現在は重くても将来的に軽くなる可能性があります。

 言葉の理解がどの程度障害されているかを正しく知るには、患者さんの聴覚的把持力(ARS)を測定します。それには簡単な方法があります。身の回りにある物品(手で握れる大きさの物が検査しやすい)を6〜8個用意します(例:スプーン、鉛筆、消しゴム、眼鏡、歯ブラシ、100円玉、爪切り、洗濯鋏)。検査者が物品のなかの一つを告げ、患者さんに指さしてもらいます(例:「眼鏡はどこにありますか?」)。これができたら、鉛筆・歯ブラシ、のように、物品名を一度に2つ告げて指さしてもらいます(例:「今度は、このなかの物を2つ言いますから、2つ指さしてください。鉛筆・歯ブラシ」)。これが可能なら、3語、4語と、できなくなるまで増やしていき、確実に指さすことのできる語数(聴覚的把持力)をみます。3語指さすことができれば聴覚的把持力3語、1語指さすことができれば聴覚的把持力1語です。検査では検査者が物品名を言っている間、ついたて(例:画用紙や新聞紙)で物品を覆うなどして患者さんから物品が見えないようにします。
この検査で、聴覚的把持力5語が正常、4語が正常と異常の境界領域、3語が軽度の障害、2語が中等度の障害、1語が重度の障害、そして0語が最重度の障害です。
重要なのは、聴覚的把持力の検査でみているのは単に記憶の容量なのではないということです。言語音の認知能力や意味の理解能力が障害された場合も聴覚的把持力の成績は低下します。聴覚的把持力の検査でみているのは、聴覚的理解の総合的能力といえます。
当研究所の研究は、失語症では2種類の言語理解の障害を生じることを示しています。2種類の障害とは、言葉の音の認知障害と、言葉の意味の理解障害です(図12))。「音と意味との結合が言葉である」と言語学者は言いますが、左脳の中では、言語音を処理する領域はより上方に(Wernicke 領野や縁上回下部、図2、領域3と4)、言葉の意味を処理する領域はより下方に(中側頭回、図2、領域5)位置しています(以下割愛)。

 ここで整理しますと、失語症で用いる検査は、@.総合的失語症検査、A.スクリーニング検査、B.掘り下げ検査に分けることができます。

      @.総合的失語症検査は、
        標準失語症検査(SLTA:Standard language Test of Aphasia)、
        失語症鑑別診断検査、
        WAB(The Western Aphasia Battery)失語症検査で、
        標準失語症検査は1974年標準化され、簡単な内容は既に記述した通りですが、その中で1999年に
        日本失語症学会Brain Function Test 委員会・SLTA小委員会で、SLTA補助テストが作成された。
         それは発声発語器官および構音検査、はいーいいえ応答、金額および時間の計算、マンガの説明、
        長文の理解、呼称の6項目で構成されています。
         その中の「マンガの説明」は、私は障害手帳の申請のときにそれを使用した検査を受けた経験があり
        ます。
          また、聞くところによるとこの内容は日常の訓練で部分てきにも使用されているようです。
        なにぶん訓練のレパートリーが豊富になって嬉しいことです。

      A.スクリーニング検査は、
        標準化されてはいないが、短時間でおおまかな言語障害の状況を把握することを目的に行
        われます。

      B.掘り下げ検査は、(その内容の詳細は割愛しますが)
        実用コミュニケーション能力検査
        重度失語症検査
        トークンテスト
        語彙検査
        言語把持力検査
        語音の異同弁別検査
        復唱検査
        100単語呼称検査
        仮名―漢字検査
        失語症構文検査
        単語のモーラ抽出能力検査
        単語のモーラ分解検査

  その他に最近はそれぞれの研究所の開発した検査もあるようです。

 古い話で恐縮ですが、私は目的は異なりますが、文章が書けないとき、山鳥式簡易失語症検査の復唱を使用し自分の能力の診断の参考にした記憶があります。

 1=あ、2=やま、3=ちから、4=くだもの、5=ぬかにくぎ、6=まけるがかち、7=みからでたさび、8=らくあればくあり、9=うそからでたまこと、10=おいてはこにしたがえ、11=にくまれっこよにはばかる、12=ちりもつもればやまとなる、13=あたまかくしてしりかくさず、…、17=しずかさやいわににしみいるせみのこえ。

 この失語症の検査方法は、当然科学的・臨床的根拠に基づくものと信頼していますが、いずれも原因になっている脳の言語の部位を音波・磁界・電界・電磁波や化学的処置による解析ではなく内部を患者に対する質問形式の反応から垣間見るものであり、「東京都神経研: 失語症」にものっておりますが、最近多く見かけます脳機能に対応した各部位の診断ではないことに私は問題を感じています。
 つまり、素人の私は勝手に想像するしか方法がありませんが、失語症の原因が脳の損傷に起因すること以外詳細なその(脳の)機構が把握されていないと思っております。

 それを検証するためには失語症の研究の歴史を遡る必要があると思います。失語症に関心のある方ならば必ず出会う単語に「ブローカ(領野)」と「ウェルニケ(領野)」がありますが、これはいずれも医師の名前から採った命名であることはよく知られています。
 ブローカ(フランス.1824〜1880)は、タン氏と呼ばれていた患者の症例報告を行いました。「タン」というのは、他人の話は理解しているが、自分では「タン」という一語のみしか言えない人で、外科医のブローカは彼の死後その脳から左半球前頭葉の下前頭回脚部に構音障害の部位が存在するとした。ブローカの取り出した脳のスケッチが残っています。
 ウェルニケ(ドイツ.1848〜1904)は精神科医であったが、ウェルニケのもとに来ていた患者で、よく喋るが、単語がよく言えないし間違えだらけで、言っていることがよく分からない、しかし、状況判断の能力は充分にあり、物事の使用が適切で礼儀正しい人がおり、その患者の死後その脳を調べて、その原因を左半球側頭連合野の一部にあるとした。そして、大脳皮質にはいくつもの中枢があり、それを結びつける連合繊維を想定するドイツの神経学者の連合学説の背景の下に学説を発表した。。
 その後のリヒトハイムの研究を含め、現在、ウェルニケ―リヒトハイムの図式と呼ばれる理論、即ち、連合論又は古典論が完成した。そして、その後幾多の経由を経て現在に至っていることはよく知られています。

 そこで私が言いたいことは、失語症の原因である脳の部位の解明は、ブローカとウェルニケの場合を見ても分かるように死者の脳から得て情報に基ついたものであり固定されている状態を前提に処理されています。

 その流れを継承する失語症に関する他の説明も、Broca失語(大脳優位側(通常左側)の前頭葉の下前頭回後部(運動言語中枢))、Wernicke失語(側頭葉の上側頭回後部(感覚言語中枢))、全失語、超皮質性運動失語、超皮質性感覚失語、混合型超皮質性失語、伝導失語(弓状線維束)に対する脳の部位の設定も固定化されております。

 ここで今回の主題である脳の内部については、現在は書籍やインターネット等に多く表示されていますが、参考のために最も信頼される「東京都神経研: 失語症」のなかの「左脳の音声言語に関与する諸領域」の図と説明を載せて頂きます。


  1. 聴放線
  2. 横側頭回(聴覚野、聴覚連合野)
  3. Wernicke 領野(ウェルニッケ領野)
  4. 縁上回下部
  5. 中側頭回
  6. Broca 領野(ブローカ領野)
  7. 中心前回(運動野、運動連合野)
  8. 中心後回(感覚野、感覚連合野)
  9. 縁上回上部

図2. 左脳の音声言語に関与する諸領域
Wernicke 領野の後方に隣接する縁上回下部(4)の損傷が言語音の認知障害と最も密接に結びつく可能性がある。各領域が語音認知に果たす機能については、文献6、図4b、および文献6、本文pp.173-174 を参照のこと。
 

 つまり、発症当時の脳外科医の診断を前提に検査の解釈と思えて仕方がないのです。

 最近は多くの図書やインターネットにも私のような素人でも分かり易い解説書が出ております。また、いろいろの障害者の連絡会も行われているようです。
 
その中で障害を受けた脳細胞は復活しないということは常識になっています。
 
私がインターネットで拝読している多くのHPの一つに尊敬をもって開く『脳卒中の治療最前線』という“脳神経外科医による制作”のHPがあります。タイトルで仰っておられる通りRecent treatments for Stroke の内容です。

 この内容は時代の先端を行くもので、親切に解説してあり、進歩している状況がよく分かります。
 その中で私に最も気になる部分があります。

 「脳梗塞あるいは脳出血によって完全に障害されてしまった脳細胞は、どんな薬によってもあるいはどんな手術によっても、元通りに回復させることはできません。ですから、一旦完成してしまった半身不髄(片麻痺)などの症状の回復は、一般的には極めて困難なのです。

 実際、治療にあたる医師の見解ですから疑う余地はありませんが、その場合患者の回復はどの様に理解すればよいか疑問は何時になっても消えないのです。
 そこで私は私の担当医にメールで以下の内容の質問をしました。

 「
最近、私は”リハビリをどの様に行っていますか”と聞かれることがあります。私は言語と関する限り特別なことは何も行っておりませんが、常に私の回復の可能性が気になり、幾らかの脳の解説書を読みかしたが、元々理解力が乏しい上、その本の中に書いてある内容が結構まちまちなことがあり、特に時代遅れの場合の事もあり、最近は読む前に発刊日を確認する事にしました。
 何れにしても、現場で治療をされる医師集団が直接のお書きになったものが分かり易く、また、現状に合っているとつくづく思います。
 そこで質問ですが、”脳卒中の治療最前線” http://www.ne.jp/asahi/ueda/stroke/ というHPがありますが、文字通り内容は密度の高いもので私は特に尊敬もって読ませて頂いています。その中で、
 『脳梗塞あるいは脳出血によって完全に障害されてしまった脳細胞は、どんな薬によってもあるいはどんな手術によっても、元通りに回復させることはできません。ですから、一旦完成してしまった半身不髄(片麻痺)などの症状の回復は、一般的には極めて困難なのです。』
 と書いてありますが、

 @「完全に障害されてしまった脳細胞」とは、具体的には細胞の壊死と考えてよいでしょうか。
 A脳細胞の壊死した部分は以前MRI画像で白く映っていた部分ですか。また、以前説明を頂きましたので、再度で申し訳ありませんが、その部分は今は脳を開くとどの様になっていますか。空洞ではないと思いますが、何が入っていますか。そして、将来その部分は変化しますか。
 B失った脳細胞の機能の代替作業は周辺細胞が受け持つと云う事ですが、その配分・代替機構のメカリズム等現在何処まで解明されていますか。

 多忙のところ恐れ入ります。宜しくお願いします。


 それの返信です。
 


  言語のリハビリについては、荒井先生の状況まで改善すれば,あとは日常生活でどんど
 ん使うことがリハビリでしょう。会議もどんどん発言して訓練してください。
 
  そこで質問への回答です。
 「完全に障害されてしまった脳細胞」とは、細胞の破壊と壊死と考えてよいでしょう。そ
 のためにその細胞の持っていた機能はなくなり,症状として出る訳です。壊死の陥りかけ
 ても何とか機能が戻ってきた細胞があれば、症状が少しずつ改善する訳です。あるいは周
 辺で休んでいた細胞を目覚めさせて機能を持たせることにより(リハビリの効果)少しは
 症状が改善すると言われています。
  その部分は,最終的には細胞がやせ衰え,脱落してスポンジ状になったり,出血の場合
 は特に空洞になっていきます。実際には脳脊髄液が溜まっています。CTでは水分のため
 に黒く移ります。MRIでは、種々の撮り方がありますので,白く写ったり,黒く描出され
 てきます。将来は萎縮が進行してくればその範囲は少しずつ拡大してきます。失った脳細
 胞の機能の代替機構については、前述したこと(一般に言われている)以外には私も詳細
 はわかりません。勉強が足りませんね。済みません。
  次回の診察のときに,病理脳解剖した写真の載った本を探して、お見せ出来ればと思っ
 ています。わかりやすいと思いますので。

  では、リハビリ,DM予防に精を出してください。
                         』


  返信で仰った通り予定の診察日に先生から『脳梗塞』というライフサイエンス出版の本をお借りしました。その中には脳とその横断面などの標本の画像が沢山ありましたがどれも驚くほど鮮明なものでした。CT、MRIもあり、説明も配置さています。私は説明は分かりませんが、写真を見ると、恐らくそうゆう特徴的な症例だと思いますが、壊死しているそうとう広い部分―脳細胞の欠損が、は明らかに確認できます。
 障害を受けた部分は気の所為か色合いも材質(適当な単語が分かりません)もくすむ感じで周囲の健康な部分とは明らかに違っています。
 私はこの写真を目の当たりにし、私の脳の内部で同じことが起こっていること考えると複雑な気持ちなり、瞬時硬直しましたが、呼吸排気と共に、患者には残酷でもこれが現実の実体としてただ納得するのみでした。
 またその書物の「」に続き監修の主旨が書いてありました。
 監修の辞」の一部を掲載します。

 
 疾病の診断・治療の分子レベル、あるいは遺伝子レベルまで掘り下げようとする研究の流れが一方にあるが、臨床医学は、その出発点もゴールもマクロ的でなければならないと筆者は信じている。臨床症状、臨床所見、生活の質(quality of life)、人間の生と死など、すべてマク口のできごとである。画像診断の所見をこれに結びつけることができるようになったことが近年の大きな進歩である。
 本アトラスでは、国立循環器病センターで取り扱われた豊富な症例の中から50症例を選び、具体的なイメージをもって疾病が捉えられるように特に配慮されている。脳の血管性障害の内容如何に豊富なものであるかがよく理解されると思う。…

                                                       1992年7月 尾前 照雄

 四六時中休みなく開いていなければならない救急医療の担当者の緊張と使命感が伝わってきます。直面する患者の家族はよく神の手として縋ります。生死の境にある患者にとっては先の事より先ず命の確保に全力を集中する事が任務である以上“マク口のできごと”に価値観をおくことは極当然なことです。
 私の脳梗塞や脳溢血のような血管障害の場合は発症後脳細胞か直ぐに死ぬわけではなく脳の動脈が詰まって脳への血液が途絶えてもその領域の脳細胞が死んでしまうまでには時間的な余裕があり、例えば血流が半分以下(脳100グラムあたり毎分18ミリリットル以下)に減ったとしても、約3時間内に血流が戻ればいったん死にかけた細胞も蘇生するということですから、患者ののみならず担当医の血管障害に対する処置は時間との厳しい闘いです。この3時間以内を「治療の窓」と言うそうですが、脳血管障害に関心のある方ならご存知の通り、tPA(itssue plasminogen activator :組織プラスミノーゲン活性化因子)などという薬による静脈内投与で血流を再開させる方法が、日本でも、2005年10月11日に認可され、福音を齎すことになり、その効果は私もテレビで視聴しました。患者の自己本位の感想としてこの薬が8年前に認可されていたら私の後遺症はないし、あっても軽症になっただろうにということでした。(私の場合は入院のときの私の身体的・時間的にこの治療を受ける条件が整っていましたから)
 しかし、その処置の適用には患者側からの同意の他、患者の血圧等の受け入れ態勢と受けう入れる施設及び器具とその操作スタッフ等の条件が整っていることが前提ですが、何より重要なことはその処置に耐える優秀な医師の存在が不可欠なことです。
 私もそうした先生方が対応して頂けなかったら、受け入れ先のチームがなかったら、今「回復」を考えることもなかったはずです。
 患者は誰もその恩恵に感謝し、その技術と情熱に尊敬をもっていす。

 (しかし、最近 tPAによる治療法の症例の公開と説明が増えて来ましたので、私のそれにつれて私の考え方がずいぶん変わりました。例えば、発症間もなくの撮影されたMRIの画像には血管が詰まった先は映っていませんが、この治療を受けると見る見るうちに血管が貫通し画像上に血管が再度現れます。“見る見るうち”とはその処置による結果に対する私の判り知れない畏怖を籠めた感覚的な短縮表現ですが、血管障害に拘るものとしては、時間は数日乃至週単位又は1ヶ月であっても、硬直した肢体が動き、その可動範囲が回復する様子は驚異に中ります。
 当然、後遺症:失語症はない筈です。
 私は毎年MRIで確認していますが、私の脳では右は正常ですが、左は太い血管が途中で止まっていてそれから先は細胞の壊死した広い空域のみです。既に不可能ですが、その血管が元に戻れば私の障害が開放されます。
 それがこの治療で現実に起こっていることがテレビ等で視聴できるまでになりました。
 このtPAの治療の促進を知り、私の8年間を回顧して、私がこの治療を受けていたら…、そしてこの血管が貫通していれば…、そうなればこの8年間の暗澹たる重い深淵の闇は何だったか…と、私は混乱しています。)

 つまり、脳外科の対応には緊急に対処する使命があり時間をかけてリハビリを行う分野とは立場が異なると分けて考えないと現実の理解を誤ると思っています。

 しかし、危篤を脱した患者の視点からすれば
 「
脳梗塞あるいは脳出血によって完全に障害されてしまった脳細胞は、どんな薬によってもあるいはどんな手術によっても、元通りに回復させることはできません。
 という決定は間違いではないと分かっていてもショックな宣言です。

       

 と言っても、実際には回復に向って行なっている予後の医療・リハビリテーション医学が設定されています。私もその恩恵を受けてきました。ただ残念なことにその恩恵を自分自身で明確に確認していなかったのです。
 私は冒頭に言いました通り、
 “失語症”には、「ずいぶんよくなりましたね」と声をかけて頂く方がありましたが、その場合は「リアビリはどうやっていますか」と質問されることが多いのです。私は冒頭でも行なっていますが、偽りではさらさらありませんが、さりとて、さしたる意味もなく挨拶代わりにたまには使用する“リハビリ”という言葉について、内心、その質問に答える資格がないと口篭ってしまうのです。“ずいぶんよくなりました”なんてとんてもない、たいだいリハビリの意義を自覚していませんからと…一喜一憂の葛藤が起こります。そして、主張の文脈は乱れ主旨が大きな振幅で振動します。
 その説明に後ろめたい感じがあるからです。冷静に考えれば明らかに間違いであることに気付きます。私も他の通常の患者と同様に緊急病院を経てリハビリのための温泉病院で療養を受けましたから。
 両病院ではそれぞれ理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚療士(ST)がおりましが、PTとOTの区別が分からないまま退院しました。

 発症当時は起き上がることさえできなかった事から自立歩行が可能になったのですから、大変な恩恵を受けていましたが、その自覚が余り定かでないのは私の人間性を疑う方も多いと思っています。
 それは今になると言い訳になりますが、この病気は将に“青天の霹靂”で、発症を境に私の意識は全く豹変しました。その変化に驚きとその後に起こるであろう予後への覚悟として私の妻は
平成11年4月30日をもって私の新しい誕生日としました。
 発症当時の私は意識が混濁しており自立した判断は全くできませんでしたし、何をやるにしても家族特に妻の介添えと医療関係者の指示が必要でしたので、全ては他力本願の生活でした。従って、だた黙ってPT 、OT、 STに闇雲に従っていました。当然緊張を伴なっていました。そこではリハビリテーション(rehabilitation)という意味もその可能性も全く考えていませんでした。
 と言うより考える余裕がなかったのです。
 今から思えば、リハビリ病院には、障害のあることを本人に認識させ、障害に合わせて個人の身体や生活を新しく組み替えるという適応を促しながら、同時に、障害を克服して回復を促そうとする、相反する二つの課題を患者に課している側面があり、こうした相反する課題を課されるので、患者は必ずしも納得して担当者の指示に従っているわけではない。
 そこには医療行為を受ける方も与える方にも避けて通れない“障害受容”という厳しい壁がある。私はそれに戸惑い、ジレンマを感じていたと思っています。
 それに妻が何処かで聞いた失語症のプラトーについて話が当時は全く分かりませんでしたが、違和感を受けたことは確かでした。
 つまり、この意識の混濁は今の私には自己防衛になりますが、失語症の初期が認知症の特徴を持っているからです。(具体的には別の機会に詳細を述べたいと思っています)。それが漸く見えて来ました。すべてが暗中模索の日々が続き五里霧中から立体的な眺望を展開できる余裕ができたと思っています。周囲の方から見れば、“喉もと過ぎれば暑さを忘れる”と不愉快なことかも知れませんが、その結果が今回の疑問の原因にもなりました。

  ハビリテーションの定義とはインターネットで見ると

 1942年に米国リハビリテーション評議会において、「リハビリテーションとは障害を受けた者を、彼の成しうる最大の身体的・精神的・社会的・職業的・経済的な能力を有するまでに回復させることである」と定義づけられました。
 
後に、WHOは1968年に「リハビリテーションとは能力低下の場合に機能的能力が可能な限り最高の水準に達するように個人を訓練あるいは再訓練するため、医学的・社会的・職業的手段を併せ、かつ調整して用いること」としています。

 となっています。

 これに呼応していると思いますが、病院名とその特徴・自宅復帰率や施設等の評価・所在地等の情報が公開されています。そしてそれぞれの病院ではその紹介のHPを発表していますが、なかでも私が出会った“園田のリハビリテーションの広場”という素晴らしいHPは冒頭に「一般の方、リハビリ専門職、どちら向けにも情報を提供しています。」という記述があるように大変分かり易く親切に対応してくれますから大方のリハビリテーション医療の概要が分かります。
 特に”リハ医になろう”という項目に入っている「リハ医の専門性」を見ると、その中には“運動の障害(dismobility)の専門家”、“運動学習の使い手”、“認知障害の専門家”、“一般医療にも長けています”、“情報のコーディネーター”という6部があり、「リハ医は運動療法の効果を理解しており、かつ疾患の病態も医学的に把握して、両者をつきあわせることが出来ます。脳卒中の早期リハでは合併症や再発のリスク管理と訓練効果とを天秤にかけて、最良の結果に導く役割をします。」という文章で締め括ってあります。

 また、財団法人日本医療機能評価機構では病院機能評価結果認定を行なっています。従って、それぞれの病院の運営方針を発表しています。それと共に高名なリハビリテーション科専門医 道免和久(兵庫医科大学助教授:リハビリテーション医学)氏の「リハビリテーション科医師・人材育成」というタイトルのHPで内部の様子を知ることもできます。

 ここで水を挿すことになるかも知れませんが、ある社会学者によると
 

 『今日、リハビリテーション医療では、脳卒中の早期にリハビリをすれば、それだけ良好な
回復が見込まれることが明らかになり、ICUにいる内から、理学療法士や言語聴覚士による
早期リハビリが行われることもある。
 しかし、理学療法士や言語聴覚士たちが、病棟に入院している、あるいは外来に通ってい
る障害を持つ人々のリハビリ訓練をするだけで手一杯で、ICUにいる人にまでリハビリ訓練
できないという病院も少なくない。そもそも、理学療法士、特に言語聴覚士などは、いないと
いう病院もたくさんある。また、リハビリテーション科を標榜している病院でも、リハビリテー
ション医がいない病院もある。そうした病院では、整形外科医がリハビリテーション科を担当
していたりする。
 もちろん、整形外科医であっても、脳卒中による障害の予後を正確に診断できる者もいる
であろうが、患者や家族に予後が正確に伝えられない場合もある。


 ということです。そのようなお話はよく聞きます。

 教育・政治等全ての業界もいろいろのご苦労がお在りと思っています。

 ここで観点を戻してリアビリ病院の内容に具体的に触れますと、

 理学療法の領域では、「一般的に中枢神経疾患の代表である脳梗塞に関しては具体的には、理学療法の領域では、発症直後から麻痺した手足の機能回復を図るために、関節運動・離床練習をスタートし、麻痺の回復促進、バランス訓練などにより、日常生活の獲得と社会復帰を目指します」、となっております。

 手脚の体躯のリアビリは何となく分かるような感じはありますが、言語に関する限りあまり触れていません。

 東京都リハビリテーション病院」のHPには「リハビリいろいろ」という頁があいます。その説明をご覧になられるとお分かりと思いますが、肢体のリアビリが主になっていることが分かります。

    関節の固まった状態を拘縮と言います。

 拘縮となってしまえば、動かす筋肉の力があるにも関わらず動かせないわけです。これを予防するためには、よい姿勢でいることと、関節可動域運動(ROM)といって、各関節を端から端まで動かしておく必要があります。教科書的には1回5往復のROMを1日2セット行うとよいとされています。

 脳卒中の方や、脊髄損傷の方がリハビリ専門病院に来る前に聞かされてくることの多い言葉です。たしかに、急性期の救命治療は終わったのでしょうが...。「なおる」ってとても期待してしまう言葉ですよね。
 麻痺の回復には限度があります。一般論ですが、大きな回復は発症(受傷)後3ヶ月くらいのうちに起こります。その後も3ヶ月程はある程度回復してきますが、その時期を過ぎるとなかなか回復しません。麻痺を少しでもよくするのもリハビリですが、その麻痺のレベルなりに出来ることを増やしていくこともリハビリの重要な要素です。
 このような経過を考えると、「なおる」という言葉は患者さんに不信感を抱かせるだけではないでしょうか。さらに麻痺が「なおる」ことに固執して、日常生活動作訓練や健側のリハビリを拒否してしまうことすらあります。
 ですから急性期病院での不用意な言葉は、是非お控え願いたいのです。例えばこのような言い方はどうでしょうか。これからのリハビリでは、動きにくい方を動かしやすくすることもがんばりましょう、それと同時に、今動きにくいなりに日常生活が出来るようになっていくことも大切です。動きやすい側を120%使って歩くということもいいですよね。


 私の狭い視野ですが大忙しで、一般的なリハビリ病院を見て来ました。結論に関係する点では、ある病院では最大180日でバーセル指数を70点で退院を目標にしているということを聞いたことがあります。(バーセル指数(BI):身辺処理や移動、排泄等が自立していない障害者の日常生活能力を評価し、その回復状況を測るために用いられる、自立に関する簡単な指数のことであり、10項目について点数が設定されている)

 要約しますと、先の挙げました失語症者の回復曲線よりも更に整備された脳卒中片麻痺の新しい予後予測法を発表がリハビリテーション医育成プロジェクト・兵庫医大リハビリテーション医学教室<リハビリ・関西プロジェクトProject Domen>の中の脳卒中片麻痺の予後予測として発表してあります。


  以上のことで概要は分かります。失語症については殆ど開示されていませんが、脳血管障害は何れにしても、年齢・障害の部位及びその重度差や受けた動機・個人差等による違いはありますが症状の回復はある水準で明確に立証されています。
 私はそれに関わる関係者のご努力に感謝しております。
 しかし、私に限らず誰も以前の様に何にも不自由のない生活に戻りたいという願望がありますが、現在の状態ではこの障害を自覚した時から諦め又は妥協を模索しているというのが疾患の宿命だと思っています。
 言うまでもなく、この症状を発現する原因の脳の細胞の欠損・異常を示していることになりますので、全ての窮極的な問題の原因が「脳」にあるからと思っています。
 つまり、そこまでは私でも理解しますが、では、リハビリの結果として回復の効果見られた脳の内部変化はどうなっているのでしょうか。
 壊死した細胞の再生はありえないという前提では、その機能の代替機構なくして能力の回復・修正はありえないと私は常に思っています。勿論、専門家はその解明に努力されているでしょう。

 私は以前から申し上げてある通りこの疾患に出会うまであまり病気については関心ないというと嘘になりますが知識がありませんでした。今回慌てて脳の本を購入したいと書店に行きましたが、日頃、特に発症後は本に行く機会がなかった所為もあり適当な本を見つけることができず図書館で職員から推薦された本をお借りし、それを書店で注文という面倒な方法で購入しました。

 確かに図表が多く読み易いものでした。どれも、神経細胞とグリア細胞、軸索、髄鞘、シナプス、その伝達物質の説明から入り、脳の役割分担(大脳皮質(灰白質)、大脳皮質(灰白質)、前頭葉、頭頂葉、後頭葉、および側頭葉、基底核、視床、視床下部、海馬と扁桃体、脳幹、小脳等)とそれが分かってきた歴史的な経過の解説、脳診断の方法や施設・脳にかかわる病気等々ありましたが、その解説内容の中にある著者の見解がなかには理解し難いところがいろいろありました。

 殆どがペンフィールドのマップを説明していますが、その地図ができた時は1930年台のことですから、中にはそれを使って運動野の役割りを紹介しているように思われるのがありますが、それは、恐らく、運動野のことより著者のペンフィールドの紹介が主眼であったと思っています。現在では電気刺激装置よりfMRI装置の方が適当と聞いていますから。

 また、所々に納得し難い部分、特に、失語症に関して、ありました。情報としては日程が遅れているものもあり、それ以来その本の発行日を確認してから購入することにしています。何と言っても、時間を費やすのみで然したる収穫が得られず自分の能力の乏しさが目立つ侘しい感じが残りました。総じて隔靴掻痒といった感じでした。

 つまり、私の求めていた内容は分かりませんでしたが、最近のリハビリテーションの流れとして、損傷部位とまわり部分との神経回路の構築によるネットワークの形成で機能回復を図る機能的再構成というニューロ・リハビリテーションになることを知りました。

 それにはfMRI経頭蓋磁気刺激法(TMS)強制使用法(CI療法)等を駆使してリハビルを行なうそうです。従って、今後は、当然ながら、セラピスト(PT 、OT、 STの総称)の人材の高揚が俟たれます。それは特にSTにおいては任務の再編成になる流れと思います。(この点は後で触れたいと思っています)。

 ここでは回復の根拠は神経細胞の可塑性においていますが、この点も日々進歩しているようです。(ただし、発行日の古い本は相変わらず内容が修正しておりませんの、選び方が難しい)

 しかし、失語症の場合のように、例えばブローカ失語、超皮質性運動失語、失名詞失語、伝導失語、超皮質性感覚失語、ウェルニッケ失語のように脳損傷局在が確定されている場合は、ネットワークの回路の構築が可能か疑問として残ります。

 つまり、上に挙げた失語症の型に対する回復の準拠の淵源を従来の“神経細胞の可塑性”に限るとすれば壊死細胞と活細胞の境界線上の以前ペナンブラと呼ばれる部分のみが回復の可能性を包含する部分になることになる。従って、その考え方には前提として代行作用(ビカリエーションvicariation ):損傷を受けていない部位が損傷を受けた部位の機能を代行するという設定があります。実際にある先端的な研究グループでは脳損傷後の運動機能を人工的に動物実験で証明しています。

 また、兵庫医科大学リハビリテーション医学教室 道免和久氏の関わる、タイトル“総合リハビリテーション脳の可塑性と運動療法”というHPでは、専門家の立場から
脳科学の進歩によって、脳は考えられていた以上に可塑性を備えていることがわかってきた。…」と言われ、脳の可塑性のメカニズム、脳の可塑性と運動療法、について説明し、「以下に、このような治療法として有力な運動療法であるConstraint induced movement therapyについて述べる。」として、「4.他の疾患への応用」の中で、
 「
失語症のCI療法 29)では、通常の言語療法で限界に達した例に対して、2週間以上、平日に3時間以上の訓練が行われた。内容としては、運動障害に対するCI療法をモデルにして、集中訓練、言語によるコミュニケーションへの拘束、言語ゲームの中でのshaping、日常生活上での言語使用の評価の強調などであった。その結果、通常の言語療法より大きな効果が得られた。」と記述してあります。

 しかし、視界の狭い、医学に全くの素人には余にも難解ですが、患者の特権に甘えて申し上げますが、可塑性による回復の可能性は、繰り返しになりますが、障害部位が固定されているとすれば理解には、もう一段階の説明が欲しいと思っています。また、可塑性の受容量は障害の度合いによってずいぶん異なるように思えます。
 
 
私の経験ですが、主に重度な障害を受けた人に対象に開いているリハビリの言語教室では固定された慢性期の重度のプラトーは多くの方々から確認できます。
 
(Plateau: 英語。高原・大地を意味する言葉で、一時的な停滞状態のこと。何かを習得する際に進歩が一時的に止まって、横ばいの状態になること。停滞期。)

 その教室には再起性発話に近い人で具体的には私の会った方で名前を呼ばれても即座に返答に窮する方がおられましたが、この方は意外にも数を数えることはスムースにできるので私は不思議に思っていました。ところが、お会いしてから約1年後付き添いの奥さんとお話しをする機会があり、淡々と語る奥さんのお話をお聞きし私は衝撃を受けました。

 「退院してから主人がお風呂に入ったときに息子と娘が毎日1、2、3、と指を折りながら教えたんです…。でもねえ、無理に教えることは考えものですね。人に会ったときなんか必要のないときに不用意に出てきてしまうのですよ。突然、“今日は”、ていわれちゃて困っちゃいますよ。言って貰いことはでてこないのにね。

 迂闊にもそれを知るまで1年かかりました。
 ある意味で定着した障害があると、極々親しい隣人や身内のなかでは惻隠の情がありますからいろいろ肌で喋りますが、改まって席では自ら本音を控えてしまうことがようです。

 そこで私が拘る失語症の回復の可能性は不確定性要素のある中等度から軽度の場合の可塑性でありその対応に多くの研究が行なわれ発展することを祈っています。

 更に、失語症は高次脳機能障害の範疇にあることです。しかし、名称には変化があり、02年当時は『高次脳機能障害を引き起こす主な疾患』(東京都)というパンフレットを発行し、
  
●都の調査では、原因疾患の80%を脳血管障害が占め、次いで頭部外傷が10%をしめていました。
  ●脳の部位に医よって、様々な症状や障害が出現します。

 として、頭部外傷、脳血管障害、主な症状、分類(
失語症.注意障害.記憶障害.行動と情緒の障害.半側空間無視.遂行機能障害.失行症.半側身体失認.地誌的障害.失認症)等解説しておりましたが、

 厚生労働省の2005年の診断基準によれば高次脳機能障害は以下のとおりです。
 
1. 事故による受傷や病気の事実が確認できる。
 2. 記憶力、集中力の低下、感情抑制の困難などの症状があり、日常生活や社会生活に支障がある。
 3. 原因と考えられる異常がMRI,CT、脳波などで確認できる。但し、脳の損傷などが時間的に消滅する場合は受傷当時の診断書で確認できればよい。
 4. 受傷・発病前からの症状や発達障害・進行性疾患などが原因の場合は除く。

 つまり、新しいことが覚えにくい、会話ができにくく、仕事がうまくはかどらないなどの日常生活、仕事上の支障があり、正常でもなく認知症でもない状態であり、一見正常にみえ、怠けている、うつ病と間違って受け取られ、労働災害補償や交通事故の損害補償を受けられないなど社会的な理解と支援が得にくい状態であったが、改善が図られつつあります。

 と言うことは、照準が交通事故のような頭部外傷に合わせたかの状態に変わったように思われます。それは、ご存知の通り最近注目されている高次脳機能障害者の問題として、該当者の年齢が比較的に若いため「高次脳機能障害者と家族の会」等若い障害者を含むいろいろの会では再就職が最も大切な活動目標ですから、当然、厚生労働省の業務の一環として障害者雇用率制度を念頭にあると思います。私の参加している障害者交流会でも若い参加者と家族で就職情報等の連絡ルートを持っています。

 従って、これは高次脳機能障害そのものに関する医学的・学問的定義とかその機構のメカニズムを披露するようなものとは異次元での認識であり、症状・症例については従来のまま触れていません

 国は障害者の雇用促進を行っております。従って、障害者雇用制度を定めてあります。障害者雇用率制度の概要として、民間企業,国,地方公共団体は,「障害者の雇用の促進等に関する法律」により,一定の割合(法定雇用率)に相当する人数以上の身体障害者又は知的障害者を常用労働者として雇用することが義務付けられています。

 法定雇用率が適用される機関等の規模法定雇用率は、詳細は割愛しますが、1.8%.2.1%.2.0%です。

 また、厚生労働省は平成15年1月29日に次の書簡を発表しています。

    厚生労働省発表

 平成15年1月29日職業安定局高齢・障害者雇用対策部、障害者雇用対策課
 
「障害者雇用率等について」の諮問及び答申についてという書簡を出しています。(詳細)

 またこの事には、例えば高次脳機能障害者の障害手帳の取り扱い等多くの世論の高まり共に行政の整備の一環と理解したいと思っています。

 実際に高次脳機能障害者云うまでもありませんがそれの耐えているご家族のご苦労は大変なものです。

 以前、障害手帳についてメール交換をした方がありました。交流会では常に明るく振舞っておれる母親の切迫した気持ち伝わってきます。

 「…
     
平成14年から紛失した場合の再発行は「その時点での
     診断書」が基本になることになった事が脅威なのです。息子は手帳を貰った時に
     較べれば数段快復していますが、社会復帰はおろか母親が居なくては生きて
     いけません。遠い所、初めての場所に一人で行けない、財産管理が出来ない、
     失語症、記憶力低下、右視野狭窄、認知障害、右片麻痺etc.......。
     勿論書字、読字、計算も低下、数え切れません。
     記憶力低下、右片麻痺では手話も出来ません。
     (息子は大学卒業後1年半の時のバイクの自損事故で今は35歳です。
     まだまだ先が長いのです。親亡き後が心配で私は落ち着きません。)
     「高次脳」の手帳が出来たという話は聞いた事がありません。東京都でしょうか?

     今は、「年金手帳」の級が2級になり年間35万円の減給になった事で困っておりま
     す。
     平成13年度の診断書と16年度の診断書の内容が違っていたからです。コピーを
     持参して同じように書いて貰ったはずが実は後でよく見たら違っていたのです。
     母親の責任です、どんなに自分を責めた事か、いまだに悲しく辛いです。
     これから精神手帳を取ったり、耳鼻科の診断書を書いて貰ったりして少しでも
     息子のために動いておきます。年寄りにはしんどい作業ですがやるしかないです。
 
           
                                            …」

 また、見過される問題に高次脳機能障害失語症は時には認知症の要素を兼ね備えているという点です。

 しかし、「特定非営利活動法人 全国失語症友の会連合」では、
 “
失語症になると、声は出ますが、言葉を思い出すのが大変です。耳は聞こえますが、言われたことをすぐに理解することが難しいです。文字や文章を読むことも大変です。けれども、認知症とは違います。
 と言っております。

 この見解の相違は後に触れますが、認知症の「定義」の混乱にあると思っています。
     特に原因は究明されていても未だ治療薬が開発されていないアルツハイマー病の脅威が浸透し、
    「私は誰になっていくか…」という患者・家族の切実な訴えはただ奈落の坂道を辿る現実は深刻な
    事は涙なくして聞くことも出来ませんが、一概に認知症と言ってもそれぞれ特徴があります。

 また、高次脳機能障害の観点から見れば、失語症が障害の起点・淵源として設定するのではなく、認知症と失語症は併発があり、場合によっては、認知症の患者が失語症を発症することあり、それぞれの障害がそれぞれに回復経過、その対応として対処すれば発想が異なり障害者に対するより的確な対応になり得ると思っております。
 失語症の解説には、必ず、失語症は言語以外の能力は保存され人格も保たれ、認知症でなく専門家が診断すれば判断は簡単に出来ると説明しております。外科的所見では当然な事かも知れません。
 しかし、当事者としてはその診断がプラトー状態にあるなら何の異議はありませんが、病巣の広い初期の段階では、錯誤(置換、脱落、付加、転置、意味性錯誤、迂言)、ジャルゴン、保続、失文法は、診断者はその症状を外延で診断しますが、当事者はその症状の痛みを全身にて内包で受け止めます。
 特に、発症後の回復曲線の勾配の大きい時には認知症の症状も回復に進むと実感しております。
 各類型にある重度の失語症者の個々の人生にとっては、その原因の所在の責任はいずれに在るにしても、想定外に経験する障害はトラウマティック(traumaticトラウマ的)な出来事であり、精神的あるいはこころへの衝撃を通してそれの影響であるトラウマ(trauma):心的外傷の配慮が必要と思っています。

 障害の重さ・種類等いろいろありますから、一概には言えませんが、友の会自体、認知症者の経過を対象にしていないと感じております。

 最近になって認知症の原因として脳血管性認知症が注目されるようになりました。認知症はよくご存知の通り、以前は「痴呆症」と呼ばれていました。「痴呆」の「」という字は(ヤマイダレ)に「」ると書き、元々は、健常者に比較すると極めて能力が劣る、頭の働きが鈍い、未熟であるなどの意味を含んでいて、「痴呆症」は「ものが覚えられない」、「家族にとっては不本意に徘徊する」、「食事や身の周りのことが誰かの助けがないとうまく出来ない」といった能力減退症候群であると思われますが、全て侮辱的な表現であり、患者や家族の感情やプライドが傷つけられ、痴呆は恥ずかしい病気であるとの認識を生じ、早期受診・早期発見の妨げになっていることが考えられます。そこで、厚生労働省は、痴呆にかわる用語に関する検討会を設け、平成16年12月24日に呼称変更の採択がなされ、行政用語を認知症と改めました。あくまでも行政用語の変更であり、医学用語・法律用語は従来のままのようです。
 (従って、この用語の設定には
、1. 「認知症」なる表現がなぜ不適切か.2.「痴呆」に代わる名称考案方略の提案。等の見解を発表して異議を唱える方もおられます。
 それに拘る“Blog”の一部に会いました。厚生省の政治的思惑には合致しなかったようですが、大変見識の高い見解を知ることができます。そのBlogをご覧下さい。)

 しかし、最近は認知症についての優れたホームページが発表されていますから、容易に概観を知ることができます。その一つ|| 認知症ねっと || には大変分かり易い説明が載っております。(ただし、ネットの内容は更新されることがあります。)

 ●認知症(脳に何らかの破壊が生じる器質性脳疾患)
 ●仮性認知症(単なる機能の変化により生じる機能性疾患)
 の判定は、医師でも間違えることを屡聞いております。

 特に、認知症はその病気が当事者や家族が明らかに認定できる場合は対応の選択が容易ですが、実際は進行性の中枢神経の疾患であるアルツハイマー病のように本人及び家族が確認でき難いように徐々に進行する場合はその疾患の早期な判定は極めて困難な状態にあります。

 アルツハイマー病は1906年にドイツの精神科医師アロイス・アルツハイマー(Aois Alzheimer)がこの病気を経過と脳の顕微鏡的変化などを初めて報告したので彼の名前がつけられましたが、わが国では認知症の原因のおおよそ60%を占め、現在、アルツハイマー病の患者は170万人で20年後には320万人と想定されています。

 従って、多種な認知症のなかで最近知れていますので、認知症=(イコール)、アルツハイマー病と言っても良いくらいの浸透しつつあります。
 NHKの調査によると
 初診で認知症と診断されたかという質問について
 診断された:65.1%, 診断されていない:33,6%
 認知症と診断されるまでの期間は
 3年以上(5年もかかった人もいる):24%, 1年〜3年未満:31%, 1年未満:45%
 でありました。
 その数字が見れば他の疾患に比して現在の認知症の難しさがよく分かります。
 それはその病気の“性質”が、素人には極めて判定し難い要素があることだと思います。
 先のNHKの調査による報道にも涙ながらのさし迫った家族の訴えがあります。

 ● その前にももの忘れがあることもちゃんと話しておりましたけれど、年齢的なもので誰にでもあるといわれて薬の処方もその時にはありませんでした。
 
 どちらの病院も画像ではきれいにしているしなんとも言えないというお返事でした。不安とこころぼそさでおしつぶされそうになり二人でぽつんととりのこされたようで死のうとさえ思いました。(54歳の夫の介護する妻)
 
と訴えおられ方がいました。

 そして、「なぜ患者が見過されるか」いう点を真摯な検証をされておられます。

 @56歳男性。平成15年一人で病院に行ました。結果は特に何もないといわれました。何もないはずなのにもの忘れがだんだん激しくなってきました。×さんは妻に助けられながら自宅で生活しています。認知症が進み一人で身の回りことをするのが難しくなっています。洋服をだしてあることを忘れてします。2、3分前に着替えを出して貰ったことを忘れていました。 ×さんが認知症を見過ごされた期間は3年7ヶ月。その間症状は悪化していきました。×さんは大手精密機器メーカーで働いていました。異変が起きたのは56歳のとき、会議の予定を忘れたり、計算を間違えたりするミスがあい継ぎました。自分でももの忘れに悩んだ××さんは上司の勧めもあり会社の「健康管理室」を訪ねました。相談をうけた保健師は神経科で詳しく検査を受けるように勧めました。そのときの診断結果です。医師は認知症の可能性を否定。規則正しい生活をして、ストレスを解消すれば、もの忘れは回復していくという見通しを示しました。

 認知症を早期に診断するためには、3つの検査を組み合わせて行う必要があるとされています。本人や家族から症状を聞き採る問診、日付が分かるかなどの認知機能テスト、脳の状態を確かめる画像診断です。×さんが受けたのは問診、画像診断だけでした。医師は認知機能テストを行わなかったのです。しかし、医師の指示通り規則正しい生活を送っても××さんのもの忘れはおさまりませんでした。

 3ヶ月後、別の神経科を訊ねました。今度は問診のみで認知機能テストも、画像診断も行いませんでした。医師は「神経症性うつ病」という診断、1年間薬による治療が続きました。もの忘れは激しくなる一方でした。字を書くのも難しくなり、忘れていない情報は切り取って手帳に貼り付けるようになりました。送れてくる電子メールも重要なものは全て印刷して貼りました。

 更に2つの病院で診察を受けましたが、認知症とは診断されなかったといいます。
 ××さんが、大学病院の専門外来を訪れたのは、一昨年の8月のことでした。
 ここで初めて3つの検査をすべて受けました。問診と認知症テストを行った段階で医師は認知症の可能性が高いと判断しました。
 「ちょっと質問しますよ、今の時点でのあなたの状態をね、今日は平成何年ですか、…、じゃあ何月何日ですか、今日は、…」

 更に、画像検査で血液の流れを詳しく調べました。その結果、脳の一部に異常が見つかったのです。この診断がきめてになりました。
「少しでもでもよくなりたいものねー」
 「何としても直りたい、直して頂きたい、そういう気持ちと、それだけなんです。」

 ご本人は仰っています。

 「若年アルツアイマー病と診断されたのは平成18年でした。最初の診断から3年7ヶ月が経っていました。それまでなぜこうなったか原因もわからず、家族もこんな自分にどう対応したらよいか分からずにいました。そんな自分が惨めでくやしく一人で苦しみました。

 もし、最初の診察のとき、認知症と分かっていたら、今よりももっとよい状態でいられたのではないと思うことがあります。自分自身が無知であったこともありますが、もの忘れに困って診察に行ったんですから、“特に何もない”ではなくて専門の病院を紹介して欲しかった。そう思うととても残念でくやしくてなりません。ちゃんと診てくれる先生を増やして欲しいと思います。

 奥さんのコメント

 「うつと言われたとき、“うつではないよね”と言いながらも、うつと言われて薬を飲みはじめ、だんだんひどくなっていくんです。ぼーとして一日中ごろごろ寝ている日が多かった。病院に行って先生の方にお願いして、“どうもおかしいです”云いましたら、最初の方は、“人によっては薬が合うまでは分からない”、というなことで先生も戸惑っていたんですね。そのときもう少し早く分かっていたらと思います

 認知症の早期診断に必要な3つの検査を全て受けたにも拘らず見過される人もいる。

 55歳女性

 A 2年8ヶ月の間、総合失調症と診断され誤った治療を続け続けてきました。
 もの忘れが目立ち、家族は認知症ではないかと医師に訴えたといます。しかし、診断は変わりませんでした。
 図形の書き写すテストです。××さんは、全く描けていません。認知症と疑わせる兆候ですが、医師は元々描けなかったかもしれないと考えました。

 認知症はこのような検査をしたらいいというものを断片的に勉強しますが、それを持って来ただけで、系統だった検査を持っていません。この検査をしたらいいかわたしもわからなかった。

 医師は画像検査でも異常ないと判断しました。しかし、画像では脳の一部が縮んでいるのが映しだされていました。“萎縮はない”というふうに思ってしまったわけです。だから、はっきり云えばそれを見逃してしまったということです。

 この医師は精神科医ですが、大学でも医師になってからも認知症について学ぶ機会は殆どなかったと話しています。認知症というのは急いで変わらないとか、命にかかわるわけじゃないというようなことがある、だからどうしても後回しになってします。

 症状が悪化する一方だった××さんは、去年8月東京の専門医を尋ね認知症と診断されました。

 誤った薬を飲み続け、3回の入院を繰り返した末のことでした。

 「やむを得ないところはあるとは思いますが、非常に無駄なエネルギーを使った気持ちです。二人ともこんなに苦しまなくてもすんだと思いますが。」(ご主人)

 B本人が云いだす2年前からおかしいと思っていたが、内科で診断、血流が悪く、健忘症と診断。2年前、会社から診断書の提出要請があり病院でMIRにより海馬と大門に萎縮が診られアルツアイマー病が分かった。本人が脳ドックを受けてから6年、奥さんがおかしいと思ってから8年。

 専門医は一番大切な事に問診の重要性を指摘します。それを十分行い画像で確認することが診断ですが、問題はCT、MIRを解読できる能力は在るか否か問題であるといいます。その点では多くの患者が疑問を持っているのが現状です。それは専門医があまりにも少ないことに現われています。

 老年精神医学会では、認知症を診られ専門医は約800人で、専門試験を受験した人は3年間でたった35人であった。出来れば倍くらいに増やしたい思い宣伝をしているが受験しない。学会としてもちゃんとした教科書もあり、試験をするという制度もあり、研修病院もあるが、医学教育で認知症の教育が少ない。
 
それについては、専門医としてのミリッとがないと云われている。初診の場合、専門医が1時間半から2時間をかけて診断しても、専門医でない人が15分で診察しても医療費は一緒ですから、そういう意味では専門としての意味がない、ということです。

 つまり、これは高齢化に伴う社会構造に拘る問題ですから、各医療機関の連携・役割分団、行政の対応、市民意識の変革が求められています。

 日本医師会は、かかりつけ医である、地域医療を担っている医師が生活に視点を向けていくことが重要なことで、19年1月その基本姿勢を文書で示したということでした。

 ネットには、“認知症(阿呆症)医療機関の検索” があり、次の説明があります。

 『高齢社会を迎え、認知症への関心が高くなっています。また、厚生労働省は2005年を「認知症を知る1年」と位置づけています。認知症の早期発見や治療は、医師だけではなく、周囲の協力が不可欠です。
 
ここでは認知症に関して相談や治療を行う医療機関を検索することができます。お近くの医療機関を確認して、認知症の早期発見、治療にお役立て下さい。』

 ということで、釧路医師会から尾道医師会まで13医師会とそこに所属する医療機関(2008/02/現在)が載っています。

 これには当然、詳しい診断や治療する専門医療機関(大学病院)と日常の治療と経過の観察を担当する地域の“かかりつけ医”との連携の構築が前提でなければならないことは云うまでもありません。

 しかし、認知症の場合は、“かかりつけ医”と専門医療機関(大学病院)との連結には充分ではなく、その間に専門医であるサポート医がサポートいていると聞いていますが、それでもその連携機構には参加できる人材数・地域差等解決できない難問はあると云われています。

 アルツアイマー病の悲劇は、

 @発症から時間をおって緩慢に進行し、
 
A現在では直す薬がないので、
 
B固定的、不可逆性な病気ですから基本的に改善したり治癒すること出来ない事にありますから、
 
C初期の段階では見過されること多く、
 
D確認できたときには将来に対する絶望の陥る

 と云う事にあるのでしょうか。

 アルツアイマー病の多くの患者は高齢になって発病しますが、いま最も苦しんでおられる方々は若年期アルツハイマー病と云われる、職業を持ち社会に一線に立って活動してきた人たちに忍び寄る65才未満で発病する若年期アルツハイマー病の脅威です。
 若年期アルツハイマー病は遺伝による問題がありますから個人情報には慎重にしなければならないのは当然です。

 何ことも先の見えないことは、単なる騒音でも、怖いものはありません。枯れすすきも幽霊にかえてしまいます。それが迫り来る明日の人生であればその絶望に対峙して自ら深刻な生活意欲を結集しその根源に挑戦し力尽き果てることもあるでしょう。その気持ちはよくわかります。

 私は障害を負ってから幾多の方々にお会いしました。いろいろの集まりでそれぞれの悩みをお聞きしてきました。しかし、それは、常に氷山の一角で声を出せない多くの障害者が存在することが実感できます。

  そして、そのとき、よく聞くそれぞれの障害度の比較を私は私を含み自分に問いかけます。

       “かったいのかさ恨み”、ではないかとうしろめたい自責の念に苛むらがら

    原因は別にして、心底自己の疾患に悩む人は他の病・患者には慎重な対応が身についています。それは、深淵の闇を彷徨(さまよ)った暗黙のうちに言わば身についた、場合によっては精選された深みのある翳をもつ人間像でもあり、疾患による蝕ばれた能力の減退に耐え、己の人生のアイデンティティーを受容し今ある儘の現実に謙虚に、従順に生きて行くという芯の強さをお持ちになっています。ですから、自分の疾患を他の病気の重さ辛さを比較することは決してありません。それはそれを意識しなくても、その人なりのひたむきな視線が冷静な思索を呼び起こすと私は信じています。

 ところが、ある日、“脳卒中者等の集い”と云う会に私の知り合いが発表するという連絡がありましたので見学に行きました。
 会場は駅の通路と繋がっていて大きなホールで、その中にはすぐ分かる障害者とその関係者が大勢参加しており、活気がありました。主催は日本リハビリテーション医学会になっていたと思いますが、実際は共催の地域の20弱の脳卒中の集いの連合体が健康福祉局の援助の下に実施しているという感じでした。
 会が始まり、関係者のご挨拶あと、プログラムが一枚めぐられ、当事者の代表(?)の挨拶がありました。

 私はそのお話を伺い、何とも言えない違和感を感じました。

 『  …もし、脳卒中で倒れますと日常生活は先ず100%壊れます。家族の団欒や旅行や家族揃っての外食ともしばらくお別れです。
 脳卒中は本当に恐ろしい病気です。脳卒中は癌や他の病気と違って、退院した後に、長期間の後遺症が残る病気であります。癌は早期に発見しさえすれば完治もあり得る病気であり、手遅れならば、苦しむ期間は脳卒中のように10年以上も苦しむ病気ではありません。
 しかし、お迎えに来る期間はずっと短いですよね。
 
栗本慎一郎氏はその著書の「脳梗塞になったらあなたはどうする」のなかで「脳梗塞は癌より恐い」と書いています。  …』

 私の脳裏には触れてならないタブーがあったのです。

 栗本慎一郎氏のような方なら、「脳梗塞は癌より恐い」と書いた場合は、恐らく、その内容にはそれなりの背景と前提があると思っておりますが…。

 ところが、認知症ではない筈の私が認知症に関する内容は何故か最も親密に私のなかで同化してきます。
             “かったいのかさ恨み”、ではないかとうしろめたい自責の念に苛むながら。…実感をもって…  )

 程度の差はありますが、血管障害による後遺症で自殺を考えた人も多いし、発症以前には人から羨ましく見られていた、同居の奥さんの関係さえ、未だに、理解できない人もおられます。うつは認知症でありませんが、血管障害になった人はある一定期間たったあと、その1/3は完全にうつ状態と言われています。ある脳神経科の調査によると、血管障害で発症後5年経過した追跡調査では、5年経っても心理的な状態うつ状態が回復していません。勿論、重度の失語症では再就職は無理で、若い高次脳機能障害者の前途は先が見えない方が多いのです。

 素人の私が言及しますと顰蹙をたまわることになると思いますが、記憶障害でも、アルツハイマー病のように神経原線維変化、海馬の萎縮による記憶障害と血管障害による脳の一部の部位の細胞の破壊・壊死で起こる記憶障害は、その症状が構造的に異なりますが、当事者にすればそれによる混乱と支障は変わりません。前後は別にして現時点その中にある当事者は等しく辛く厳しいものです。“全般的かつ持続的に低下”と言う点では本質的に視点を変えた障害度の状況の受け取り方に対応する必要を感じます。

 初期の認知症は、普通に歩行、会話等が可能であったものが神経細胞の脱落にともない、記憶障害・認知障害・人格変化・失行・失効・失語等症状は進み徘徊・暴言・不安・焦燥等の悩まされることになります。この兆候を変えることは現在の医療では、緩和するだけで出来ません。しかし、血管障害による突然降りかかってた重度の同じ症状は、命がある限り医療(リハビリも含め)により回復に向う可能性があります。

 認知症の定義は幾分定まっていないようです。あるネットでは、「後天的な脳の病気により正常に発達した知的機能が全般的かつ持続的に低下し日常生活に支障を生じた状態と定義されています。」とされていますが、生活感覚からすれば“持続的に低下し”とういう設定は当を得ていないと云ってもよいと思っております。

 三宅貴夫先生が仰っておれる通り、“認知症は高齢化する社会において大きく重い課題となる状態です。認知症は一つの病気ではなく、状態を示します。
 つまり、認知症の診断基準としては、DSM−M(Diagnostic and Statisitical Manual of Mental Disorders , 4th edition(精神障害の診断と統計の手引き、第4版)の略称。の基準)の基準に準拠することがその当事者の生活感覚として最も客観的妥当性を持っているものと思っております。

               三宅貴夫先生

    (老年科医・京都保健会盛林診療所所長・社団法人認知症の人と家族の会顧問
                ・国際アルツハイマー病協会第20回国際会議・京都・2004事務局長

   は次の通り説明しておられます。

 このDSM−Mの基準について説明を追加します。
 『第1は、DSM−Mでは精神障害を小児と成人とに分けて分類しています。認知症は成人の精神障害に該当します。認知症は精神的に発達した後に発病する病気であることです。先天的または子供の頃から知的障害をもっている人が成人になっても認知症とは言いません。
 第2は、認知症は進行性とみられることがありますが、DSMの認知症の基準にはこれは含まれていません。認知症の中には進行性のもの(アルツハイマー病)もありますが、進まないものも(低酸素脳症)、良くなるもの(脳血管性認知症)、治るもの(慢性硬膜下血腫)があるのです。
 
第3は、認知症になるといずれは「人格が崩壊する」などと言われることがありますが、DSM−Mにはこれについても何も触れていません。確かにアルツハイマー病やピック病の末期でのその人となりがなくなってしまうように状態になることがありますが、それは一部の認知症であり、多くの認知症の人は認知障害はあるが、感情豊かに生きています。

    なお三宅は、認知症を以下のように簡単に定義しています。

 「一度獲得した知的機能の低下により自立した生活が困難な状態

 すなわち、認知症は成人の病気であり、記憶障害など知的機能の低下があり、しかも通常の老化に伴う記憶障害ではなく、自立した生活が困難になるほどの知的機能の低下した状態です。例えば、買い物に行って勘定ができにくくなる、道に迷うことが多くなるといった状態で、誰かが常時見守っていないことには生活が営めなくなった状態です。

 「介護保険法」の第8条第16項では認知症を以下のとおり定義しています。

 脳血管疾患、アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態                 』

 しかし、難しい定義に拘らなくても、認知症は案外私たちの近いところで遭遇することがありますね。
 先生の記述内容の中に“アルコール性認知症”という項目があります。

       【  アルコール性認知症: 長期に多量の飲酒を続けていると持続的で非可逆的な認知症の状態になることがあります。これはDSM−Mでは物質起因性持続性認知症の一つとされ、アルコール性認知症とよびます。長期多量に飲酒している一部の人でも断酒すれば認知症に改善がみられることがあります。          】

 実は私の身内に現在85歳の男性Mさんがおります。Mさんは79歳の時アルコール依存症で入院しました。
 Mさんは、もともと、他人のことがよく気が付く世話やきの方でしたから町内長として周囲から頼りにされていましたが、70代の半ばを過ぎてから役員を引退し、新聞に目を通し、テレビを見る、そしてその合間に、狭い庭の数少ない盆栽や鉢入れの植木の手入れをする程度のことしかない退屈な日々になったようでした。
 その上78歳のとき、転んで頭を打って小脳に障害を受けたようです。

 ですからMさん生来お酒の好きな方でしたので、晩酌の量が次第に増加しました。奥さんは最初はある程度は仕方がないと容認していたが、量が増えてくると一日の量を超えて飲みたいという要求を断ることが難しくなり、ある時には趣味のパッチワークの作成中に突然その室内に踏み込んで来て、ウイスキーのビンは何処にやったと迫る勢いに暴力を感じ、息子達と計らい、病院に相談しアルコール依存症として入院しました。
 ところが、その病院での治療は全く合わなかったようでした。夜は脚と腰には拘束衣があったようで、自由が奪われ、ご本人はしきりに病院に不満をぶつける状態で、家族の面会では明らかに精神的異常が見られました。
 40台の息子に
 「大学の授業は何時から始まるんだ」
 「悪いことはしたことはないんだけれど、警察へ連れて行かれて行く。助けてくれ」
 「ベットの横のダンスから煙草を取ってくれ」(自分の家の積りで喋っている)

 若いときに戦争に徴兵され中国、シベリアに回り終戦時にはシベリアで抑留られた経験をもつMさんは、同時の記憶は確かではありますが、息子は相変わらす大学生と思っていて、息子の帰りを見送って、当時住んでいた会社の社宅を思い、「直ぐ帰るから」という。

 症状は益々悪くなり、意味不明なことを言ったり、歩行にも支障が起こり、アルコール性萎縮症という診断を受けて3ヶ月で退院、別な老人病院に転院した。そこでは適正なリハビリが行われ、病状は順調に回復しました。現在では電話の対応も頂いた年賀状の宛名書きも失語症の私では出来ない確りしたものです。

 この認知症の症状が、“持続的で非可逆的”であるかは、今後の問題ですが、この回復を最も喜んだのは、他界した認知症の姉を持つMさんのご家族です。

 何と言いましても、世界1になった平均寿命の延長によりアルツハイマー病患者数は増加しております。集計方法によって数値の幅が幾分違いますが、あるサイトによると、年齢階層別出現率は60歳以上1%、70歳以上10%、80歳以上20%、90歳以上50%だそうです。

 敢えて、言及しますと、以前「痴呆症」と言われていた頃とは現在では社会構造がいろいろ変わり、治療・介護には常に関係者の共通な判断を必要とすることかあります。例えば、介護保険による介護サービスを受ける場合、特に40歳〜64歳は、厳しい認定調査があり担当医はその診断には責任が負いますので、疾患に対する社会的に共通できる定義が必要になっているのではないでしょうか。
 従って、その概観は要介護認定の調査項目(82項目)の内容を見ますとその実態が見えてきます。
 
「くまくまゴンタの社会福祉士事務所」のHPを見ますと良く分かります。特に、「6-5 理解について、」、「7 行動について、」の「認定調査票(基本調査)」は認知症の調査と等質と見えます。また、それ自体が時代に合わせて改革の検証が迫られています。最近の様子(8/5/2)の情報で分かります。

 私が拘った、“全般的かつ持続的に低下”という部分もここにあると思っております。疾患の定義はそれが存在する器・社会の仕組みなかで、その容認限界の範囲で左右されますから、この点も医療技術が進歩すると変わると思っています。

 お話が飛んで申し訳ありませんが、高齢者について触れるときには、避けて通れない言葉があります。

 『介護』です。各行政の広報誌を開くと、頻繁に使われてますが、この単語は、私の使用している辞書には載っていません。また、私の所有する第二版補訂版広『辞苑』にも載っておりません。

 この言葉の生みの親は、フットマーク株式会社代表取締役社長磯部成文氏です。

 氏の会社が「祖父が失禁するため、大きなおむつカバーを作ってほしい」という依頼に、70年に「大人用おむつカバー」という表品を開発したが、その後は病人用、医療用と商品名を変更したが、社長には心残りで10年間考えた末、看護師の優しさ、親切さという天使のようなイメージをヒントに、「助ける」という意味の“介”と、「守る」を意味する“護”をかけ、「介護」と命名した。80年、登録商標出願、84年に商標登録された。

 2000年の介護保険法施行以降、保険会社等各社から商標使用の問い合わせが相次いだが、「『自由に使ってください』とライセンス料は一切取らなかった」(磯部氏)ということです。

 その様な経過を経て生み出された介護という単語は、最近では日常に最も同化し、密度の高い、容量の大きな社会的な背景が凝縮しております。

 ですから、後天的障害である認知症は先に触れた通り、言うまでもなく、“介護全般”に、密接な関係があるのは同然なことです。従って、現在の介護の観点から見ると、問題点が覗けるような感じを持っています。

 ここに、私が出合った、最も優れた情報を尊敬と感謝を以って紹介させて頂きます。ご覧になるとお分かりと思いますが、取材された高度な内容は客観的な視点で分析しております。「キャリアブレインネット医療・介護情報CBニュース」で医師・看護師等医療関係者に配信しています。この情報に接したとき、この情報知らされずにいるのは何よりも“勿体無い”、大げさに言えば文化遺産の埋没になると思いました。

 お読み頂ければアルツハイマー病の問題の理解に役立つものと思いますが、更に私が失語症をときには認知症の要素を兼ね備えているという主張を理不尽ないいかがりと思われる方には幾分でもご理解を頂ければ有難いと思います。

      家族支援に見た「認知症介護最前線」
      介護保険では認知症介護“限界”
      「認知症かも…」あなたならどうする?
      高度な認知症ケアを、厚労省新規事業
      認知症対策を地域と医療から検討/東京都
      認知症の支援“一言の勇気から”

  アルツハイマー病について記述が長くなりましたが、畢竟、失語症者ですから、
 直接には、血管障害で認知症に苦しむ多くの氷山の底に光を希求しています。

  私は現在の認識では認知症から脱したと思っていますが、失語症には解放されません。

 発症後そろそろ9年になりますが、最近のことでした。
 後になって見ると他愛ない些細なことを申し上げるのは、恥ずかしく私の人格を疑う方もお有りかも知れませんが
、当時の私はとても疲れ溜息をしました。お許し下さい。
 
公園で遊んだ後家への帰りにデパートにより、孫の玩具を買いました。お風呂に入った時に遊ぶ人形でアンパンマンシリーズですが、そのシリーズにはアンパンマン、バイキンマン、ドキンちゃん、メロンパンナちゃん等15個の人形がありますが、売り場では常時全ての人形を置いてはいないので時々買い足して、孫は14個まで持っていました。この日は丁度よく足りない人形がありましたので、それを持ってレジカウンターに行き、お金を払おうと金額を聞き、これなら細かい硬貨で足りると思い小銭入れ出しました。

 ところが云われた525円を出す際、魔がさしたと云いますか、少し戸惑い、他人事のような感じで手のひらに硬貨を並べようとしていました。ところが対応の来た定員は、レジカウンターの数字を改めて示しました。そして、目を向けてまだ開いている小銭入れに触れ、硬貨を選んで「これでいいですよ、でも、この5円より1円があるからそれを使って整理した方がいいでしょう」と親切の対応してくれました。私が選んだ硬貨は500円、1枚100円、2枚50円1枚だったのです。

 私は、ショックに情けない思いと自分自身も含めての言い分けとして云いました。
 
「脳梗塞になって計算が…」、「私の母も脳梗塞になって…」
 
私の硬貨を弄る心細い仕草、いくぶんたどたどしい会話の様子からそれなりのこと察していたのかもしれません。
 
また、他に買い物がありましたが、その売り場を尋ねましたところ電話で問い合わせをして私に説明しましたが、少し離れた3階でしたので、「ご案内しますよ」とさきに立ってエレベーターに誘導し、ドアーが空くと3階のボタンを押し乗り込みそうになったので、我に帰った私は慌ててお礼を言って断りました。

 あり得ない想定外なできことの解釈の逡巡としました。でも、未だに普通な感覚では考えられないことが起こることがあるのです。

 池袋という地名も最近まで時々半透明なオブラードで包まれて一時文字も音をでて来ないことがあると云いますと、恐らく、この文章を書いているものの話とは受け入れないでしょう。それが“一喜一憂”な不安定な生活の一面です。

 私がお会いした方はささいなことで泣いたり怒ったりなど精神的に不安定な感情失禁を訴えていましたが、これは脳血管性認知症によく見られる症状のようです。また、思考の障害が段階的に起こるのも脳血管性認知症の特徴ではないかと思っています。

 脳血管性認知症のなかで初期の失語症の占める部分は大きいと実感しています。

 私は処々にある地域障害者センターで活動をいている障害者のお話を聞く機会を専門家の講演と共に、と言うよりそれ以上に重視しています。それは障害者が辿った経験による赤裸々な臨場感があるからです。

 特に神奈川県横浜市は「中途障害者地域活動センター」の活動が行政も地域ぐるみで盛んで、今年度は6月14日、新都市ホール(横浜そごう9F)で、“心と身体の自立を目指して”、「よこはま脳卒中者等の集い」が行なわれました。そのなかで中年の男性がお話をした発症から失語症の回復の経過は心に残りました。私よりずっと若いので回復のテンポは問題にはなりませんが、矢張り、発症当時は意識の混濁に悩んだそうです。

 私は、当時はもの忘れが酷く、思い出しに苛々し、風景を初め周囲の情景の把握がよくできず、以前訪れた町並みが分からないとか、距離感が全く異なり、あの渋谷の駅前のスクランプル交差点を通るときには行き交う人が透明人間のように決して衝突しないでお互いに移動する感じでした。今から考えると私の行動が緩慢で周囲の人たちが避けていたのかも知れません。勿論、失語症ですから思考・発話・計算能力の劣化はいうまでもありませんが、以前からいろいろ書いておりますからそれ以上は割愛しますが、まさに認知症の症状をもっていました。

 しかし、重症でない場合私に限らずこの症状は緩和され認知症とは離別していると思っています。

 認知症に限らずその定義の適用は不確定要素があります。それはその定義そのものが疾患の本質に対する当事者とその疾患の治癒する側の齟齬のよることが多いではないでしょうか。

 適当な例ではないかも知れませんが、失語症の場合多くのSTは当然のことのように、「失語症は漢字よりひらがなのほうが難しい」と言います。それでは“難しい”とは何か具体的に詳細に説明を受けた事の経験はありませんでした。

 私の場合は何時も会話には苦労しています。以前申した通り未だに外出の携帯必需品は障害手帳とその中に入っている「わたしは耳や言葉が不自由です。ゆっくり話していただけますか」というカードです。出先での会話で戸惑った際にそれを表示して相手の理解をお願いするためのものです。

 恐らくこのHPをご覧頂いておられる方は私の失語症を訝しいとお思いのことと思いますが、文章を書くこと会話とには距離の懸隔があります。漢字を使用している場合でも画像の漢字が単独に出て来る訳ではないのでありません。ましてパソコンを使用いた場合は自分の頭の中でその語彙を発音する必要があります。つまり自分で発音できない文章は書けません。発音から導入する言葉の構造は、当然、「ひらがな」という単位の組み合わせによる意識の凝結が文字・文章になり、漢字は一部の融合体である画像になります。ですから私は一つの単語、一つの文章を書くのに皆さまの想像以上に時間がかかります。(私にリハビリがあるとすれば、この時間のかかる文章の構築による模索の経過だと思っています。)

 つまり、言いたいこと、表現したいことが最終的に文字になるためには発声するか否に拘らず頭の中で発音しなければなりません。ところが失語症者は構想はあっても具体的な実像として捕捉が困難ですからなかなか言葉が形になって出て来ません。輪郭が捉え難い曖昧模糊の意識の下に“こうではないか”、“あれではないか”と試行錯誤しながら該当する言葉を組み立てます。それを変換します。それは記憶のパズルの並べ替えに似ている。

 それでも初期の段階ではいくら焦っても焦っても出て来れば幸いで諦めることの方が多いのです。特に困ることに一度思い込むとなかなかその印象や言葉が抜けないので、思考そのものが行き詰ってしまうことです。酷い場合はその内容が別なところに飛び火してしまうこともあります。つまり、そのような状態は回避できない思考のエアーポケットへの陥穽として受け容れざる境涯に陥ることになります。そうなると一時休んで待つしか仕方がありません。その際呼び水として運良く他人が言ってくれると有難いが、それでもその恩恵を受けるためにはそれを受け入れる土壌が必要です。言い換えればその逡巡の空間の圧力に晒されて孤独を与儀されているのが初期の失語症といってもよいと思います。ですから、生易しい努力ではいけませんが訓練次第で直接会話は不可能でも時間をかけて文章を書くことは出来るのです。文字になってしまうと文字には失語症でも健常者の文字でも同じに通用しますから。

 従って、読む場合は、言葉の単位・“ひらがなが”が既に画像としてその意味をも凝縮され独立した符号とした漢字の方がずっと楽になります。一つ一つの単独のひらがなの連結を判別することは意外に困難です。
 
(繰り返しになりますが、当事者の内部では、蒙昧な輪郭で彷彿される映像から構築された初期の漢字と漢字の書き順を一から末までに亘り立体的に鮮明に認識できる安定期の漢字とは、当然、当事者の内部では落差があります。しかし、後者の場合は、漢字が先行することも少なくはありません。つまり、漢字を想定し平仮名を書けるようになります。)
 
従って、読む場合は、言葉の単位・“ひらがなが”が既に画像としてその意味をも凝縮された漢字の方がずっと楽になります。

 失語症者にとって漢字の方が「ひらがな」より分かり易い理由はここにあります。
 私は経験的にそう思っています。

 例えば、以前書きましたが、『雷(かみなり)』という言葉に大変苦労したことがありました。健常者の方にはご理解を頂くことは難しいと思いますが、私も現在ではずいぶん簡単に対応できるようになりました。
 「かみ」→「なり」との連結がどうしても出来なかったからです。

 ですから、「雷光(らいこう)」は直ぐ出て来ても、「稲妻(いなずま)」、「稲光(いなびかり)」は二区きりの単語:いな→づま、いな→びかり:は結構難しい単語です。“いなびかり”の場合は、これも以前も申しましたが、気障に思われるかもしれませんが、昔は雷が鳴って雨が多い年は稲が良く稔ることから祈りを込めて命名した「雷=稲の奥さん−妻」という事から、“稲→妻”、“稲→光”を想定することにして、“いなびかり”という単語の発音を行っております。
 
厄介なことです。
 
ですから、私が一つの単語又は文章を書くときには、最近は随分楽になりましたが、必ずと言って良いくらい何回もの試行錯誤の結果としての文字列になります。場合によっては辞書を巡り該当する言葉を見つけるまでに多くの時間と厳しい作業があり、その経過は自己集中を要しますので、その時点では会話には馴染まないような事になります。従って、今はなるべくスムースな会話を目指しております。
 
(勿論、意欲的な方、特に若い方は、リアビリ病院で主に音読等の指導を受けていると聞いていますが、早口言葉の訓練は私には負担が大き過ぎます。早口言葉の訓練は、私の言い分では構音障害なら分かりますが、「友の会」で失語症に無理に練習に取り入れるSTにあったことがありましたが、失語症は時間がいくらかかっても正確に伝達できれば十分であると思っています。)

 また、私が書く文章は難しい漢字を必要以上に使用していて、それが内容の軽薄を隠すオブラードとお思いの方がおられようですが、単に自己の立場を衒う積りはありません。
 先の説明でご理解頂けたと思いますが、「難しい(むずかしい)」より「難解(なんかい)な」のいう記述の方がずっと楽なんです。

 いろいろ説明した積りです。使い易い方から使用しているだけのことです。従って、使用語彙は私が発症以前に使用していたものを発掘して使用するのみで、私のパソコンの脇にはぼろぼろになった「国語辞典」は常時置いておりますが、発症後は一度も「漢和辞典」を開いたことはありません。昨今ではパソコンの文字変換の機能が向上していますので私には十分です。つまり、語彙については私の遺産の食い潰しです。新規開拓がないのですからリハビリの限界でしょうね。
 私はそれを終日8年間続けて来ました。
 私は失語症から回復を自覚したのは自分では意識しないで作業中に作業の内容を確認する独り言を言い始めた頃でした。それは明らかに独り言は回復の目安になると思っています。

 最近では神経細胞にもっと神経発芽を促進させる神経成長因子の研究や幹細胞(ES細胞)による臓器の発生にも近づいていることですから希望を持って次代を待ちたいと思っています。

 それにつけても失語症の原因の脳の部位が固定されていると言われていても、いろいろ分かっていないことが多いですね。それに関することですが、次のような本、「脳血管障害からの生還を見つけました。その内容の一部を掲載しました。
 しかし、この治療が脳細胞の壊死と回復の関係をどのように理解すれがよいでしょうか。
 
つまり壊れた脳が甦みがえった」ということは、
  具体的に脳の内部に如何なる変化が生じているか…
        それが問題だと思っています。 そこには必ず物質的裏づけが存在しなければならないからです。

 脳血管障害からの生還

 新脳針の奇跡 前田中国学研究院 院長前田昌司著 平成5年9月20日初版発行

 第2章 壊れた脳が甦みがえった。

    三、脳卒中で半身不随の女性が見事。回復
    四、失語症を克服した男性の話 
    六、脳梗塞の後遺症がたったの三ヶ月で治った

 柏木洋子さん(仮名)五十二歳、会計事務所に勤務
 半年近く入院し、リハビリテーションに励みましたが、左半付随と言語障害は残ったままでした。原因は「脳血栓」でした。…脳の血管を駄目にした血栓を「新脳針」で治療すれば、柏木さんの身体は改善されるはずです。

 そこで私は早速、洋子さんに「新脳針」の治療を始めました。三ヶ月後には言葉が明瞭ではないが、話せるようになりました。
 半年後、彼女はほとんどもと通りの身体に回復しました。
 来院して約一年、今はもとの職場で元気に仕事をしています。
 私の予言通りに柏木洋子さんは回復したのです。脳血管障害にも威力を発揮する「新脳針」の素晴らしい効果に私自身も驚嘆しているところです。

 刈谷英雄さん六十二歳

 とにかく、トラックと接触し、転倒した際、かなり強く左頭部を打ちつけていたのです。それだけに一見元気そうであっても脳内部には相当強い衝撃を受けているには違いないと考えられたからです。

 CTスキャンやレントゲン撮影が再度行われました。
 その結果、以前に発見された第三前頭回の他に、外側溝のすべての部分に損傷をきたしていることが分かりました。
 病院側の指示で刈谷さんは、リアビリテーションに懸命な努力を続けましたが、一進一限の病状が続きました。
 そして、他の機能には異常はなく、失語症だけが後遺症として残り、刈谷さんは一応三ヶ月入院の後、退院することになりました。
 ちなみに左脳損傷の場合、外傷のよるものでも脳血管障害によるものでも、程度の軽い重いは別として、どちらも失語症になるようです。

 (著者による失語症の説明は項目のみで省略します。)

 @ 自分の意志で話そうとすることが障害される失語症。
 A 相手の言葉を理解できない失語症。
 B 健忘失語症。
 C 読み書きができなくなる失語症。

 こうように左脳を損傷することは、人間にとって最も重要な言語を失う結果になるのです。考えてみただけで恐ろしいことですね。
 さて刈谷さんが私の診療所を訪れたのは、秋もようやく深まり、木々の落葉が道路にぱらぱらと散りはじめた頃でした。
 刈谷さんは詳しい自分の症状を、ノートに書き留めていました。それを私に見せてくれたのです。
 前述したように、失語症にもいろいろなタイプがあります。しかし私も刈谷さんのように、いわば「全失語症」の例に出会ったことがありませんでした。

 私はすぐに「新脳針」のことを刈谷さんに説明しました。

 過去にカタコトしか話せない失語症の患者さんを治療した例はかなりあり、それに対しては自信がありましたが、正直いって「全失語症」がはたして全治するものかどうかわたしにも多少の不安は残りました。

 「とにかく根気です。短気を起こしてはいけません。それには全面的に信頼して下さい。私も刈谷さんを最大の努力で治してさしあげようと思っています。それにこたえて下さい」

 と私がいうと、刈谷さんは大きくうなづいて手を差し出し、私と握手しました。
 …
 私も懸命に「新脳針」を駆使して治療に当たりました。
 約三十日が経過した頃のことでした。
 「センセイ」
 と刈谷さんが治療中に声を出したのです。私はまさか刈谷さんが呼んでいるとは思わず、他の患者さんかと思って振り返ると、もう一度、「センセイ」という声です。その声は間違いなく刈谷さんだったのです。私は感動しました。
 …

 その頃から徐々に刈谷さん症状は回復に向かいました。

 さらに三ヶ月目にはまだ、多少、固さはあるものの一見、健康人と変わりのない話し方に近くなりました。刈谷さんは今、もとの会社に復帰し、元気に仕事に励んでいます。

                                     
 
 

 また、最近ではES細胞についての情報が多くあります。その一部を紹介します。

 大人でも新たな脳細胞

 大人の脳は成長が止まり、年齢とともに脳細胞が破壊されると考えられていたが、認識や知覚などの重要な働きをつかさどる大脳皮質には、大人になっても新しい脳細胞が付け加わっていることがわかった。

 米プリンストン大のエリザベス・ゴールド博士らがアカゲザルを使った実験で確認。1999年10/15日付けの米科学誌サイエンスに発表した。
 サルと人間の脳は極めて似ていることから、人間の脳でも同じ現象が起きているとみられる。博士らは、新たに付け加わる脳細胞は記憶や学習などの高度な機能に関連があるらしい、と指摘している。
 博士らは、細胞分裂して新たに増えた細胞に取り込まれる特殊な化学物質を、成獣のアカゲザル12匹の腹に注入。2時間から7週間後にサルの脳を調べ、どの部分から化学物質が見つかるかを分析した。
 その結果、注入2時間後の脳では、脳の中心近くで見つかり、新たな細胞が脳の奥深くで作られていることが判明。新たな細胞は時間とともに、脳の外層である大脳皮質で移動し、脳神経細胞として成熟することが分かった。新たな細胞は大脳皮質の中でも判断力など特に高度な機能を持つ部分に付け加わるという。
 

 脳神経再生の遺伝子

 「一度傷つくと再生しないとされていた脳の中枢神経が、『bc12』と呼ばれるガン遺伝子によって再生されることを、ノーベル医学生理学賞受賞者の利根川進マサチューセッツ工科大教授らがマウスを使った実験で突き止めた。
  中枢神経は人間の活動で重要な働きをしており、解明が進めば脳障害の治療に大きく役立つと期待される。利根川教授は「この遺伝子を体内に注入する遺伝子治療などで、脳に障害がある新生児や脳卒中の後遺症治療、神経変性疾患などを治療できる道が開ける」と話しており、研究成果は30日付けの英科学誌ネイチャーに発表された。
 利根川教授によると、研究グループは受精後の日数が異なるマウスの胎児の網膜と脳の一部をそれぞれ取り出し、互いに接触させた状態で培養した。網膜と脳の神経細胞は通常はつながっているが実験では切断された。
 実験の結果、受精後間もない胎児は網膜の神経細胞の軸索の部分が再生したが、受精後かなり日数が経過し生まれる直前の胎児は再生せず、成長のある段階を境に再生しなくなることを確認。再生しなくなる時期は、bc12が作るタンパク質の量が極端に減る時期とほぼ一致することを発見した。
 一方、bc12遺伝子が作るタンパク質の量が成長しても減らないよう遺伝子を操作したマウスで実験したところ、成長の過程に関係なく中枢神経の細胞は再生、この遺伝子が再生に関与していることが分かった、という。
  bc12遺伝子は異常が起きるとある種のガンを起こすなど、細胞の増殖・分化に関係する幅広い働きをすることで最近注目されていた。

 脳の電位で増殖

 国カケとなる生体現象を、ラットを使った動物実験で解明した。
 脳梗塞などで脳の神経細胞の損傷を受けた人の回復に役立つかもしれない。
 脳に血流不足などが生じた際に、脳内で発生する電位変化の波が脳の神経細胞を新たに生み出す役割を担っていた。
 成果は米医学誌「ストローク」2005年7月号に掲載。
 頭部の外傷や脳の血管が詰まって脳の血流不足が起きると、損傷を受けた神経細胞胃の付近でカリウム濃度が上昇し、周辺の神経細胞以内の電位も上昇する。この電位変化が脳全体へ波紋のように広がっては消えていく現象が起きることが知られていた。・・・だが、何のために起きているのが不明だった。
 同センターの柳本広二。脳血管障害脳外科研究室長らはラットの脳に電位変化を発生させ、顕微鏡で脳を観察した。その結果、新しい神経細胞が多数、現れていることを確認した。新たな神経細胞を作り出す『神経幹細胞』が、電位変化で刺激されたためと考えている。
 慶応義塾大学の岡野栄之教授と坂口昌徳助手らは、脳梗塞などでダメージを受けた脳の神経細胞が再生するのを手助けするタンパク質を、マウス実験で確認した。2006年4月の米アカデミー紀要に掲載。

 脳の中には脳神経に成長する能力を持った『神経幹細胞』という細胞が含まれ、脳梗塞などによって脳機能が低下したときに脳神経を再生したり修復する働きをしている。神経幹細胞は胎児の脳には比較的多いが大人になると微量しか含まれていない。

 研究グループは、骨髄中で神経を修復させる物質を分泌している『骨髄間質細胞』という特殊な細胞から『ガレクチン1』というタンパク質を抽出。このガレクチン1に神経幹細胞を増殖させる作用があることを突き止めた。脳の中では神経幹細胞が自らこのタンパク質を分泌していると考えられる。

 試験管内の実験で、ガレクチン1を加えた分量に比例して神経幹細胞がほぼ無限に増殖。健康な大人のマウスの脳に注入すると神経幹細胞が2倍に増殖したほか、このタンパク質を持たない遺伝子改変マウスでは、神経幹細胞の量が1/3〜1/4に減少した。
 このタンパク質は脳神経だけでなく中枢神経全般の増殖・再生にも関わっていると考えられている
 理化学研究所・脳科学総合研究センターのヘンシュ貴雄チームリーダーらは、脳の神経回路が柔軟に組変わる能力が発揮される背景に神経の興奮を抑制する仕組みの存在が重要な役割を果たしていることを突き止めた。詳細は2000年3/9日付の英科学誌「ネイチャー」に発表する。
 研究はマウスの大脳で視覚情報を処理する神経回路を対象に進めた。この回路に目から情報が入ると、神経が興奮して情報伝達を強める刺激と、逆に興奮を抑制して情報伝達を弱める刺激の両方が組合わさって働く。また生後のある時期に限って、外部の刺激で神経回路が柔軟に組変わることが知られている。これを『脳の可塑性』と予備、可塑性が現れる時期を『臨界期』という。
 遺伝子技術を用いて、興奮を抑制する刺激がうまく働かないマウスを作り、脳の可塑性にどんな影響が出るか調べた。その結果、こうしたマウスは大人に成長するまで全く可塑性が現れなかった。しかし大人になってから興奮抑制作用がある薬剤を投与すると、可塑性を持ち始めた。
 逆に神経回路の抑制作用が未熟な生後間もないマウスに同じ薬剤を投与すると、通常よりも早く臨界期になった。
 こうした結果から研究グループは「可塑性が現れるには一定レベル以上の抑制性の刺激が不可欠」と結論づけている。

 ■脳内細胞の情報伝達・誘導物質

 「脳の神経細胞内で情報伝達にかかわる様々な物質を運ぶ「分子モーター」の行き先を決める誘導タンパク質を東京大学の広川信隆教授らが発見した。
 このタンパク質の働きを明らかにできれば、神経細胞に異常が起きる様々な神経変性疾患や老化に伴う記憶障害などの解明や治療法の開発に結びつく可能性がある。
 広川教授らは、分子モーターが<GRIP1>というタンパク質とくっつくと、神経細胞の中心から樹状突起と呼ぶ部分に移動することを突き止めた。分子モーターはGRIP1を介して記憶形成に不可欠な別のタンパク質と結びつき、情報伝達を樹状突起に送り届けるという。
 マウスの実験では、GRIP1の働きを阻害すると分子モーターが樹状突起に移動できなくなった。逆にGRIP1の働きを高めると、樹状突起に集まる分子モーターが多くなった。
 神経細胞は軸索という細長い手を持ち、そこから他の神経細胞の樹状突起に情報を伝える。これまで、分子モーターを軸索に向かわせるタンパク質は見つかっていたが、樹状突起に分子モーターが移動する仕組みは不明だった。
 分子モーターなどはヒトやマウスに共通。「高齢動物では分子モーターの働きが低下することが分かっており、ヒトの記憶障害にもかかわる可能性がある」(広川教授)という。」
 理化学研究所の研究チームは脳の神経細胞が成長する際に『グリア細胞』と呼ぶ別の細胞との接触が重要な役割を果たしていることを突き止めた。成果は、2004年2/5付けの米科学誌ニューロンに掲載。
 神経細胞が成長して結合する過程では、周囲のグリア細胞との接触が重要な役割を演じていると推測、グリア細胞が分泌する物質に浸けた神経細胞を2つのグループに分け、一方をグリア細胞に接触、他方は接触させないで比較した。その結果、接触させた方が神経細胞の結合の数が5〜6倍多く、結合を促す物質が神経細胞内で活発に働いていた。
 理化学研究所と英ロンドン大学は2005年1/19、脳内の神経回路のつながり方が左右非対称になっていることを確認したと発表。
 ゼブラフィッシュを対象に、視覚や嗅覚などの情報が入る脳内の手綱核と呼ばれる部分を調べた。手綱核は脳の中心線上にあり左右に分かれた構造。左右それぞれから、同じく中心線上にある脚間核という部分に神経で繋がっている。
 蛍光性のタンパク質を入れて脳内で働く遺伝子を可視化して神経の結合を観察したところ、手綱核の左側と右側では神経が脚間核と結合する位置が異なっていた。また、可視化した遺伝子が右側で働くタイプと左側で働くタイプとでは結合が左右逆だった。手綱核は人間にもあり、研究チームは人間の脳機能の解明に役立てる

 続報

   (平成8年10月30日、アップロード)

 ハーバード大学医学部のエヴァン・スナイダーは、生まれたばかりのマウスの脳から幹状細胞(=やがて脳の成熟細胞へと分化していく)の分離に成功しており、それに細胞分裂を促す遺伝子をもつレトロウイルスを導入し、通常は増殖しない神経幹細胞を増殖させ、しかもそれらが分化し成熟脳細胞となり、もともとそこにあった脳細胞と正常なシナプス結合をしているのを確認している。

 さらにスナイダーは、人工的に脳卒中を起こさせたマウスに遺伝子処理を施した神経細胞を移植することにより、それらが脳の損傷部分に移動しやがて成熟神経細胞に変化するのを確認した!

 この技術がさらに確立されると、脳卒中後遺症の治療にとって、画期的治療となるかもしれませんね。いやいや脳卒中後遺症だけではなく----。

 (ジャミック・ジャーナル、1996・11月号)

 最も最近の情報です。

 実験成功

 2007年6月7日18時25分配信 読売新聞

 クローン技術の応用で、様々な臓器・組織に成長する能力を秘めた胚(はい)性幹細胞(ES細胞)を、受精卵を使って作ることに、米ハーバード大チームが動物実験で成功し、7日付の英科学誌ネイチャーに発表した。

 クローンES細胞の作製には、体細胞核を移植する卵子が不可欠だが、入手が難しかった。今回の手法が人でも可能になれば、不妊治療用に作って残った受精卵を卵子の代わりに活用でき、ES細胞研究に弾みがつくと期待される。

 研究グループは、マウスの受精卵の染色体を、細胞分裂の初期の段階で除去して、別のマウスの皮膚細胞の染色体を入れたところ、そのまま分裂を続け、ES細胞になった。クローンES細胞は、患者と同じ遺伝子を持ち、拒絶反応が起きない臓器・組織を作り出せると期待されている。

 

     最後までお読下され有り難うございます



                                             07.06.05.
                                             08.02.03.
                                           (認知症ついて;一部追加)  

 
      


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